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ダイガクコトハジメ - 古賀謹一郎 - 大学の始まり物語

大学事始文庫_KDP (4).png

古賀謹一郎

年表より執筆、協力GoogleAI「Gemini」
約3,000文字(読了目安:5-10分程度)​

​「幕末日本の外交を担う、東京大学の源流」

古賀謹一郎の大学“始まり”物語

序章 幕府官学の頂点と迫る外圧

 1816(文化13)年、江戸の昌平坂学問所(昌平黌)官舎にて、古賀謹一郎が生まれる。祖父は江戸幕府の学問統制、寛政異学の禁を主導し、「寛政の三博士」と称された朱子学者・古賀精里。幕府官学の頂点に立つ名門の家系に生を受け、幼き頃より漢籍と経典に精通する日々を送る。


 1836(天保7)年、21歳の謹一郎は幕府に出仕。父の家塾を引き継ぎ、1846(弘化3)年には31歳で昌平黌の儒官となる。しかし、彼の眼差しは旧態依然とした机上の学問ではなく、静かに迫り来る世界情勢へと向けられていた。
 

第一章 禁忌を犯して洋学を修める


 1849(嘉永2)年から翌年にかけ、幕府は西洋の学問に対する厳しい情報統制に乗り出した。漢方医の蘭方排斥に端を発した医学書の制限にとどまらず、国防上の警戒から、海外事情や軍事に関する蘭書の翻訳・出版までもが厳しく制限されたのである。洋学が危険視される逆風の中、34歳の謹一郎は儒官でありながらいち早くその必要性を痛感。独学で西洋事情を習得、アメリカからの漂流者・次郎吉から欧米の事情を直接聞き取って『蕃談』を著す。官学の頂点に立つ者が、幕府の警戒を越えて、国家の危機に備えるための知を磨く。


 1853(嘉永6)年、アメリカのペリー率いる黒船が浦賀に来航。幕府は未曾有の国難に直面する。この年、謹一郎はロシアから派遣されたプチャーチン艦隊への対応のため、異国応接掛として長崎へ赴く。また翌1854(嘉永7)年、伊豆下田で日露和親条約の締結交渉を担う。列強の強大な武力と高度な文明を最前線で目の当たりにし、謹一郎は日本の学問状況に絶望的な危機感を抱き、老中首座・阿部正弘に対して洋学所の設立を強く建白したのである。
 

第二章 最高学府の源流、蕃書調所の創立


 列強に対抗するには、西洋の学問を体系的に研究・教育するだけでなく、外交折衝の要となる国家機関が不可欠である。この謹一郎の強烈な建白は阿部正弘の心を動かす。1855(安政2)年、40歳の謹一郎は老中・阿部より直々に洋学所の頭取に任命される。さらに同年、勝海舟らと共に新たな機関である「蕃書調所」設立の草案を練り上げた。


 1857(安政4)年、42歳の謹一郎を初代頭取として「蕃書調所」が正式に発足する。この機関は単なる学校ではない。押し寄せる欧米列強の国書翻訳、条約解読、国際法の研究を一手に引き受ける「幕府の外交中枢機関」であった。謹一郎は身分や藩の枠を超え、日本全国から最高峰の頭脳を集める。箕作阮甫杉田成卿といった高名な蘭学者のみならず、西周加藤弘之、村田蔵六(大村益次郎)など各藩の若き俊才たちを次々と教授や見習として招聘。国内の知を総動員し、強靭な外交・学問基盤を構築する。


 1859(安政6)年、独断専行を咎められ冤罪で入牢していた蘭学者・堀達之助の才能を惜しみ、彼を出獄させる。そして蕃書調所の翻訳主任に据え、日本初の英和辞典『英和対訳袖珍辞書』の編纂を命じたのである。日米交渉に不可欠な英語力を国家としていち早く獲得するため、古い慣習や法よりも能力を優先する冷徹なまでの実力主義。
 

第三章 幕臣の矜持と受け継がれる知の種


 順風満帆に見えた蕃書調所の運営であったが、1862(文久2)年、47歳の謹一郎は御留守居番への異動に伴い、突如として頭取を解任される。以後数年にわたり、彼は不遇の時代を過ごすこととなる。しかし、彼が設立を主導した蕃書調所は、その後も「洋書調所」・「開成所」と名称を変えながら欧米の政治・科学・語学を吸収し、幕府の外交を支えながら近代日本の頭脳を育てる中枢機関として確固たる発展を遂げていく。


 1868(明治元)年、大政奉還を経て明治新政府が樹立。翌1869(明治2)年、新政府は昌平学校開成学校(蕃書調所の後身)医学校を統合、近代的な総合大学として「大学校」を設立する。この最高学府の教授として、新政府は謹一郎を強く招聘した。しかし、54歳となった彼は幕臣としての節義を貫きこれを固辞、徳川家と共に静岡へと移り住む道を選ぶのである。


 1884(明治17)年、古賀謹一郎は69歳でこの世を去る。幕府官学の最高権威でありながら異学である洋学の重要性をいち早く見抜き、国家の外交と近代化を担うべく創り上げた「蕃書調所」は、のちに東京大学へと受け継がれていく。
 

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