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文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。

早稲田大学 | 『学問の独立と東京専門学校の創立』大隈重信 -3

 この学校が十五年間に勢力を得たことは既に幹事から御話しした通りであるが、この十五年間に学校が如何なる境遇にあったかということは、諸君は随分耳を傾けて聞くだけの価値がある。これは実に非常なる困難であった。それはどうも学校の貧乏のみならず、種々の敵それから種々の誤解、それから今近衛公爵の御話の通り離間中傷《りかんちゅうしょう》、これがその間に乗じ種々の外道のために悪魔のために、この東京専門学校は一時|押潰《おしつぶ》されるところであった。然るに高田〔早苗〕君なり天野〔為之〕君なり坪内〔逍遙〕君なり市島君なりその他山田〔一郎〕君なり、えらい忍耐力を持っておる講師諸君、その他の校友諸君の学校への忠義と、この忍耐力とで以てその外道をとうとう打払ったのである。


 世間はどういう誤解をしたか。私は政治上に関係があるから政治上の目的を以て政治上に使用しようという如き誤解だ。その中には真に誤解した人もあるには違ない。またその中には近衛公爵の先刻の御話の通り離間中傷何かためにするところあって……先生達がやったんだろうと思う。甚だ困ったけれども私は学校については一点の私心はない。ご覧なさい、学校の諸君の顔を皆知らない。私に陰謀があるなら諸君の所へ来て話をするなり演説をするなりするが、実は私は五月蠅《うるさ》いから学校へ来て構わない。私はよほど奮発してこれを造ったのであるが、今日初めてこの講堂へ参ったくらいである。実に私は淡泊な考え、何故に来ないかというに、世間で疑惑を致さぬように遠ざかっているのだ。世間でいう、あれは大隈の学校だ、大隈はひどい奴だ、陰険な奴だというようなことを言う。甚だ迷惑千万、そのために学校が不幸に陥った。ある場合に於ては随分色々な御役人達が大学校から出《い》で多く役所にいる人で傍らに尽してくれる講師が、何か知らぬけれども専門学校へ行って講釈をするとどうも大変な訳で、不本意ながら近来工合が悪いから当分学校に不熱心な考えはないが事情があるからと言って、少し政府に縁の近い教員先生は逃げて往く。そこで一時は教員の不足によほど困った。


 そういう訳だからこの学校は決して一人のものではない。国のものである。社会のものである。


初出:1897(明治30)年7月31日



文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。


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