かの「ペルリ」が来た以来洋学というものが流行《はや》った。流行ったというほどではないが、随分有志家が西洋の事情を知ることについてこれを勉強した。私共もその一人だ。もっとも今から四十年前のこと、その中《うち》に御維新になって種々の学校というものが出来た。出来たが皆おもに西洋の学問をさせた。即ち維新後すべてこの制度文物ことごとく西洋の最も進んだものを日本に持って来て、西洋の学問は必要だ、すべての学問は西洋でなければならぬという訳で、英国、亜米利加《アメリカ》、仏蘭西《フランス》、独逸《ドイツ》あらゆる西洋の学問、その中には独逸《ドイツ》派も出来、英国派も出来、あるいは亜米利加《アメリカ》派も出来た。即ち政治家に於ても法律家に於ても、あるいは軍人に於てもそういう色々な派が出来るようになった。
そこで私が熟々《つらつら》考えるに、これでは日本の学問の根底がない。この日本という大国に少しも学問の根底がない。教育というものは実に大切なものである。一国の国民の性質からすべてその土台を組立てるところの大切なる教育に根底がない。そういう外国の法に依って日本人を教育されるというは実に恐るべきことだ。これではいけない。国の独立が危ない。どうしても学問は独立させなければいけない。
どうかしてこの日本語を以て充分高尚の学科を教えるところの学校を拵《こしら》えることが必要である。
初出:1897(明治30)年7月31日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。