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ダイガクコトハジメ - 鳩山和夫

鳩山和夫

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  • 1856(安政3)年5月6日(旧暦・4月3日) 鳩山和夫(1歳)、武蔵国江戸虎門(現・東京都港区)に美作勝山藩藩士・鳩山十右衛門博房の四男として生まれる。父・鳩山博房は小川家に生まれるが、後に鳩山嘉平治の養子となり鳩山家を継ぐ。江戸虎ノ門の勝山藩邸で藩の外交を取り仕切る江戸詰留守居役に。

1867(慶応3)年11月9日(旧暦・10月14日) 大政奉還

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上、明治天皇へ奏上。翌日、天皇が奏上を勅許。

 

1868(慶応4)年1月3日(旧暦・12月9日) 明治新政府樹立

王政復古の大号令、江戸幕府の廃絶、同時に摂政・関白等の廃止、三職設置による新政府の樹立を宣言。

  • 1875(明治8)年 目賀田種太郎(23歳)文部省の留学生監督となり、再渡米。東京開成学校の生徒9人(鳩山和夫・小村寿太郎・菊池武夫・斎藤修一郎・長谷川芳之助・松井直吉・原口要・平井晴二郎・南部球吾)を引き連れる。後に政財界・教育界で活躍する俊英揃いであった。自身もハーバード法律学校(現・ハーバード大学)で法律を学ぶ。

  • 1875(明治8)年6月 相馬永胤(26歳)、再渡米、ニューヨーク州ピークスキル学院商業課程卒業。10月、コロンビア法律学校(現・コロンビア大学ロースクール)入学。同期の日本人留学生に、徳川御三卿清水家当主・徳川篤守、鳩山和夫ほか、文部省の留学生監督に目賀田種太郎

  • 1875(明治8)年 相馬永胤(26歳)、渡米留学中の法学徒が集うクラブ・研究会で、討論会などを開き演説の練習や法律語彙の翻訳を行う日本法律会社結成。中心的役割を担う。専修学校の土台に。1月21日の日記に「われわれが帰国後、われわれの法律上の計画を実行しようというのが、わが法律クラブの目的である」と記す。​

  • 鳩山和夫、帰国後、代言人(弁護士)に。東京代言人組合会長に。

  • 1882(明治15)年2月 鳩山和夫(27歳)、東京府会議員に当選。

  • 1885(明治18)年4月 鳩山和夫(30歳)、外務省入省。外務省書記官・取締局長に。

1887(明治20)年5月21日 学位令

日本の学位制度について、統一的に規定した勅令。5箇条からなる。

1.学位を、博士及び大博士の2等とする。
2.博士の学位は、法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5種とする。
3.博士の学位は、次の2通りの場合に、文部大臣において授与する。
大学院に入り定規の試験を経た者にこれを授ける。
これと同等以上の学力ある者に、
帝国大学評議会の議を経てこれを授ける。
4.大博士の学位は、文部大臣において、博士の会議に付し、学問上特に功績ありと認めた者に、閣議を経てこれを授ける。
5.本令に関する細則は、文部大臣がこれを定める。

  • 1888(明治21)年5月7日、学位令に基づき、25名に初めて博士の学位が授与される。「法学博士」箕作麟祥田尻稲次郎・菊池武夫・穂積陳重・鳩山和夫、「医学博士」池田謙斎・橋本綱常・三宅秀高木兼寛・大沢謙二、「工学博士」松本荘一郎・原口要・古市公威・長谷川芳之助・志田林三郎、「文学博士」小中村清矩・重野安繹・加藤弘之・島田重礼・外山正一理学博士」伊藤圭介・長井長義・矢田部良吉・山川健次郎・菊池大麓

  • ​1888(明治21)年 鳩山和夫(33歳)、日本最初の法学博士に。

  • 1894(明治27)年 鳩山和夫(39歳)、衆議院議員に。

  • 1896(明治29)年12月 鳩山和夫(41歳)、衆議院議長に。

  • 1898(明治31)年9月 鳩山和夫(43歳)、外務次官に。

  • 1908(明治41)年1月 鳩山和夫(53歳)、立憲政友会に入党。

  • 1908(明治41)年11月 鳩山和夫(53歳)、東京市会議員に。

  • 1910(明治43)年5月 鳩山和夫(55歳)、東京弁護士会会長に。

  • 1911(明治44)年10月3日 鳩山和夫(56歳)、死去。享年56歳。

鳩山和夫

はとやまかずお

1856(安政3)年5月6日(旧暦・4月3日) - 1911(明治44)年10月3日

法学博士、代言人、東京弁護士会会長、日本法律会社参画、帝国大学教授、東京府会議員、外務省官僚、東京専門学校(現・早稲田大学)第3代校長、立憲政友会、衆議院議員・衆議院議長、東京市会議員

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