top of page
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
大学事始 | 青空文庫 | 書の中の大学Blog
検索


早稲田大学 | 『学問の独立と東京専門学校の創立』大隈重信 -1
かの「ペルリ」が来た以来洋学というものが流行《はや》った。流行ったというほどではないが、随分有志家が西洋の事情を知ることについてこれを勉強した。私共もその一人だ。もっとも今から四十年前のこと、その中《うち》に御維新になって種々の学校というものが出来た。出来たが皆おもに西洋の...


早稲田大学 | 『祝東京専門学校之開校』小野梓 -2
余は本校に向て望む、十数年の後《の》ち漸《ようや》くこの専門の学校を改良前進し、邦語を以て我が子弟を教授する大学の位置に進め、我|邦《くに》学問の独立を助くるあらんことを(謹聴々々、大喝采)。顧《かえり》みて看《み》れば、一国の独立は国民の独立に基《もと》いし、国民の独立は...


早稲田大学 | 『祝東京専門学校之開校』小野梓 -1
余は従来一箇の冀望《きぼう》を抱《いだ》けり。その冀望とは他なし、余が生前に在って吾《わ》が微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世に遺《のこ》し、私《ひそか》に後人を利するあらんと欲する、これなり。この冀望たる、余が年来の志望にして、毎《つね》に用意せし所なりと...


日本女子大学 | 『国民教育の複本位』大隈重信 -2
家庭経済は国家経済の基礎で、家庭教育は国民教育の根本である。而《しか》して家庭の風儀は社会の風儀の泉源《せんげん》であって、家庭の元気は即ち国民の元気でありとすれば、女子教育の国家に必要なる、素《もと》より其所《そこ》でありましょう。ことに内地雑居となった暁《あかつき》には...


日本女子大学 | 『国民教育の複本位』大隈重信 -1
申すまでもなく富強は国家の素望《そぼう》で在って、智識性格は実にこれが根本であります。されば真個《しんこ》の富強は決して一躍して獲《え》られるべきものではない、必ずや深くその根本を培養し、その素養を確実にせねばなりません。而《しか》してその根本を培養し、その素養を確実にする...


大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -4
丁度《ちょうど》予科の三年、十九歳頃のことであったが、私の家は素《もと》より豊かな方ではなかったので、一つには家から学資を仰がずに遣《や》って見ようという考えから、月五円の月給で中村是公氏と共に私塾の教師をしながら予科の方へ通っていたことがある。...


大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -3
一寸《ちょっと》ここで、此の頃の予備門に就《つい》て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことになった。結局《つまり》総体の年数から...


大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -2
既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵《たいてい》は或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。...


大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -1
今の東京府立第一中学――其の頃一ツ橋に在《あ》った――に入ったのであるが、何時《いつ》も遊ぶ方が主になって、勉強と云う勉強はしなかった。尤《もっと》も此学校に通っていたのは僅《わず》か二三年に止り、感ずるところがあって自《みずか》ら退《ひ》いて了《しま》ったが、それには曰《...
bottom of page
