医学校/大学東校

島村鼎甫

しまむらていほ

1830(天保元)年 - 1881(明治14)年2月25日

1830(天保元)年

  • 島村鼎甫、備前国上道郡沼村(現在の岡山県岡山市東区沼)に五代津下古庵の次男として生まれる。幼名、亨二。

1833(天保4)年12月

  • 島村鼎甫(2-3歳)、柴屋志げの養子に。

  • 島村鼎甫、姫路藩の私塾「仁寿山黌」で学ぶ。

  • 島村鼎甫、大阪にて後藤松陰に儒学を学ぶ。曽根崎に寄宿、西周と同宿。

1852(嘉永5)年

  • 島村鼎甫(21-22歳)、緒方洪庵の「適塾」で蘭学を学ぶ。1年で全科修了。

1853(嘉永6)年

  • 島村鼎甫(22-23歳)、京都の赤沢寛輔より、塾頭として招かれる。

1853(嘉永6)年

1854(安政元)年

  • 島村鼎甫(23-24歳)、徳島藩侍医に。

1862(文久2)年8月

  • 緒方洪庵(51-52歳)、幕府の度重なる要請により、奥医師兼「西洋医学所」2代頭取として江戸に出仕。歩兵屯所付医師を選出するよう指示を受け、手塚良仙、島村鼎甫ら7名を推薦。

1862(文久2)年

  • 島村鼎甫(31-32歳)、師・緒方洪庵が「医学所」2代頭取に。就任に伴い、教授に推挙される。

1868(明治元)年12月10日

1871(明治4)年

  • 島村鼎甫(40-41歳)、文部中教授に。

1879(明治12)年頃

  • 島村鼎甫(48-49歳)、脳卒中を患い、半身不随、健忘に。麻布区広尾町33番地3000坪の屋敷を矢野二郎に売却。芝区愛宕下に移る。

1881(明治14)年2月25日

  • 島村鼎甫(50-51歳)、死去。