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ダイガクコトハジメ - 青空文庫『学校』 - 『慶應義塾の記』福沢諭吉

参考文献・書籍

​『慶応義塾の記』福沢諭吉

初出:1980(昭和55)年12月18日

関連:慶應義塾福沢諭吉箕作阮甫杉田成卿緒方洪庵

 今ここに会社を立てて義塾を創《はじ》め、同志諸子、相ともに講究|切磋《せっさ》し、もって洋学に従事するや、事、もと私《わたくし》にあらず、広くこれを世に公《おおやけ》にし、士民《しみん》を問わずいやしくも志あるものをして来学せしめんを欲するなり。


 そもそも洋学のよって興《おこ》りしその始を尋ぬるに、昔、享保の頃、長崎の訳官某|等《ら》、和蘭通市の便を計り、その国の書を読み習わんことを訴えしが、速やかに允可《いんか》を賜りぬ。すなわち我が邦の人、横行《おうこう》の文字を読み習うるの始めなり。


 その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川|甫周《ほしゅう》、杉田|※[#「壹+鳥」、第3水準1-94-71]斎《いさい》等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋《せっさ》し、おのおの得るところありといえども、洋学|草昧《そうまい》の世なれば、書籍《しょじゃく》はなはだ乏《とぼ》しく、かつ、これを学ぶに師友なければ、遠く長崎の訳官についてその疑を叩《た》たき、たまたま和蘭人に逢わばその実を質《ただ》せり。けだしこの人々いずれも英邁卓絶の士なれば、ひたすら|自[#レ]我作[#レ]古《われよりいにしえをなす》の業《わざ》にのみ心をゆだね、日夜研精し寝食を忘るるにいたれり。あるいは伝う、蘭化翁、長崎に往きて和蘭語七百余言を学び得たりと。これによって古人、力を用ゆるの切なると、その学の難きとを察すべし。その後、大槻|玄沢《げんたく》、宇田川|槐園《かいえん》等|継起《けいき》し、降りて天保弘化の際にいたり、宇田川|榛斎《しんさい》父子、坪井信道、箕作|阮甫《げんぽ》、杉田|成卿《せいけい》兄弟および緒方洪庵等、接踵《せっしょう》輩出せり。この際や読書訳文の法、ようやく開け、諸家翻訳の書、陸続、世に出ずるといえども、おおむね和蘭の医籍に止まりて、かたわらその窮理《きゅうり》、天文、地理、化学等の数科に及ぶのみ。ゆえに当時、この学を称して蘭学といえり。


 けだしこの時といえども、通商の国は和蘭一州に限り、その来舶《らいはく》するや、ただ西陲《せいすい》の一長崎のみなれば、なお書籍のとぼしきに論なく、すべて修学の道、はなはだ便ならざれば、未《いま》だ隔靴《かくか》の憾《うらみ》を免れず。然るに嘉永の季《すえ》、亜美利駕《アメリカ》人、我に渡来し、はじめて和親貿易の盟約を結び、またその好《よしみ》を英、仏、魯等の諸国に通ぜしより、我が邦の形勢、ついに一変し、世の士君子、皆かの国の事情に通ずるの要務たるを知り、よって百般の学科、一時に興り、おのおのその学を首唱し、生徒を教育し、ここにいたりてはじめて洋学の名、起れり。これあに文学の一大進歩ならずや、おもうに一事一運の将《まさ》に開かんとするや、進むに必ず漸《ぜん》をもってす。たとえばなお楼閣にのぼるに階級あるが如し。すなわち天保・弘化の際、蘭学の行われしは、宝暦・明和の諸哲これが初階を成し、方今、洋学のさかんなるは、各国の通好によるといえども、実に天保・弘化の諸公、これが次階《じかい》をなせり。然らばすなわち吾が党、今日の盛際《せいさい》に遇うも、古人の賜《たまもの》に非ざるをえんや。


 そもそも洋学のもって洋学たるところや、天然に胚胎《はいたい》し、物理を格致《かくち》し、人道を訓誨《くんかい》し、身世《しんせい》を営求《えいきゅう》するの業にして、真実無妄、細大備具せざるは無く、人として学ばざるべからざるの要務なれば、これを天真の学というて可ならんか。吾が党、この学に従事する、ここに年ありといえども、わずかに一斑をうかがうのみにて、百科|浩澣《こうかん》、つねに望洋《ぼうよう》の嘆《たん》を免れず。実に一大事業と称すべし。


 然れども難きを見てなさざるは丈夫の志にあらず、益《えき》あるを知りて興《おこ》さざるは報国の義なきに似たり。けだしこの学を世におしひろめんには、学校の規律を彼に取り、生徒を教道するを先務とす。よって吾が党の士、相ともに謀《はか》りて、私にかの共立学校の制にならい、一小区の学舎を設け、これを創立の年号に取りてかりに慶応義塾と名づく。


 ことし四月某日、土木、功を竣《おさ》め、新たに舎の規律勧戒を立てり。こいねがわくは吾が党の士、千里|笈《きゅう》を担《にの》うてここに集り、才を育し智を養い、進退必ず礼を守り、交際必ず誼《ぎ》を重じ、もって他日世になす者あらば、また国家のために小補なきにあらず。かつまた、後来《こうらい》この挙に傚《なら》い、ますますその結構を大にし、ますますその会社を盛んにし、もって後来の吾曹《われら》をみること、なお吾曹の先哲を慕うが如きを得ば、あにまた一大快事ならずや。ああ吾が党の士、協同勉励してその功を奏せよ。



底本:「福沢諭吉教育論集」岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年3月18日第1刷発行
底本の親本:「福沢諭吉選集 第3巻」岩波書店
   1980(昭和55)年12月18日第1刷発行
入力:田中哲郎
校正:noriko saito
2007年8月16日作成
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