一寸《ちょっと》ここで、此の頃の予備門に就《つい》て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことになった。結局《つまり》総体の年数から云えば前と聊《いささ》か変りはないが、予備門|丈《だ》けでいうと、一年年数が殖《ふ》えたことになり、その予備門五年をも亦《また》二つに分ち、予科三年、本科二年という順序でした。
それで、予科三年修了者と、その頃の中学卒業生とを比べて見ると、実際は予科の方が同じ普通学でも遙《はるか》に進んでいたように思われた。即《すなわ》ち予科の方では動物、植物、その他のものでも大抵原書でやっていた位であるが、その時の予科修了者は、中学卒業生と同程度ということに見做《みな》されることになった。だから中学卒業生は、英語専修科というに一年入ると、直《す》ぐ予備門本科に入学することが出来たのである。規則改正の結果、つまり斯《こ》ういうことになったので、予科を経てゆく者より、中学を卒業して入った者の方が二年だけ利益《とく》をすることになる。
私などは中学を途中で廃《よ》して、二松学舎、成立学舎などに通い、それから予科に入ったのであるから、非常に迂路《まわりみち》をしたことになる。其那事《そんなこと》ではむしろ其儘《そのまま》中学を卒《お》えて予備門へ入った方が、年数の上から云っても利益であったが、私ばかりではない、私と同じような径路をもって進んだ人が沢山《たくさん》あった。その人達は先《ま》ず損した方の組である。
初出:1909(明治42)年1月1日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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