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文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
大学事始 | 青空文庫 | 書の中の大学Blog
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適塾 | 『福翁自伝』福沢諭吉 -5
私は塾長になってから表向《おもてむき》に先生|家《か》の賄《まかない》を受けて、その上に新書生が入門するとき先生|家《か》に束脩《そくしゅう》を納めて同時に塾長へも金《きん》貳朱《にしゅ》を呈《てい》すと規則があるから、一箇月に入門生が三人あれば塾長には一分《いちぶ》二朱の...


適塾 | 『福翁自伝』福沢諭吉 -4
その後私の学問も少しは進歩した折柄《おりから》、先輩の人は国に帰る、塾中無人にて遂《つい》に私が塾長になった。扨《さて》塾長になったからと云《いっ》て、元来の塾風で塾長に何も権力のあるではなし、唯《ただ》塾中一番|六《むず》かしい原書を会読《かいどく》するときその会頭《かい...


適塾 | 『福翁自伝』福沢諭吉 -3
私は是《こ》れまで緒方の塾に這入《はい》らずに屋敷から通《かよ》って居たのであるが、安政三年の十一月頃から塾に這入《はいっ》て内《ない》塾生となり、是れが抑《そもそ》も私の書生生活、活動の始まりだ。 元来緒方の塾と云うものは真実日進々歩主義の塾で、その中に這入て居る書生は皆...


学生(~江戸幕末) | 『福翁自伝』福沢諭吉 -2
今度出るには藩に願書を出さなければならぬ。可笑しいとも何とも云いようがない。是《こ》れまで私は部屋住《へやずみ》だから外《ほか》に出るからと云て届《とどけ》も願《ねがい》も要《い》らぬ、颯々《さっさつ》と出入《でいり》したが、今度は仮初《かりそめ》にも一家の主人であるから願...


適塾 | 『福翁自伝』福沢諭吉 -1
緒方先生の深切。「乃公《おれ》はお前の病気を屹《きっ》と診《み》て遣《や》る。診て遣るけれども乃公が自分で処方することは出来ない。何分にも迷うて仕舞《しま》う。此《こ》の薬|彼《あ》の薬と迷うて、後《あと》になって爾《そ》うでもなかったと云《いっ》て又薬の加減をすると云《い...


慶應義塾大学 | 『慶応義塾学生諸氏に告ぐ』福沢諭吉 -2
我が慶應義塾の教育法は、学生諸氏もすでに知る如く、創立のその時より実学を勉め、西洋文明の学問を主として、その真理原則を重んずることはなはだしく、この点においては一毫《いちごう》の猶予《ゆうよ》を仮《か》さず、無理無則、これ我が敵なりとて、あたかも天下の公衆を相手に取りて憚《...


慶應義塾大学 | 『慶応義塾学生諸氏に告ぐ』福沢諭吉 -1
余かつていえることあり。養蚕《ようさん》の目的は蚕卵紙《たねがみ》を作るにあらずして糸を作るにあり、教育の目的は教師を作るにあらずして実業者を作るにあり、と。今、この意味をおしひろめて申さんに、そもそも我が開国の初より維新後にいたるまで、天下の人心、皆西洋の文明を悦《よろこ...


慶應義塾大学 | 『慶応義塾新議』福沢諭吉
一、入社の式は金三両を払うべし。 一、受教の費《ひ》は毎月金二|分《ぶ》ずつ払うべし。 一、盆と暮と金千|匹《びき》ずつ納むべし。 ただし金を納むるに、水引《みずひき》のしを用ゆべからず。一、このたび出張の講堂は、講書教授の場所のみにて、眠食の部屋なし。遠国より来る人は、近...


慶應義塾大学 | 『修身要領』慶応義塾
第一条 人は人たるの品位を進め、智徳を研《みが》き、ます/\其光輝を発揚するを以て、本分と為《な》さざる可《べか》らず。吾党の男女は、独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為《な》し、之を服膺《ふくよう》して、人たるの本分を全《まっと》うす可《べ》きものなり。...


慶應義塾大学 | 『慶応義塾の記』福沢諭吉
洋学のもって洋学たるところや、天然に胚胎《はいたい》し、物理を格致《かくち》し、人道を訓誨《くんかい》し、身世《しんせい》を営求《えいきゅう》するの業にして、真実無妄、細大備具せざるは無く、人として学ばざるべからざるの要務なれば、これを天真の学というて可ならんか。吾が党、こ...
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