top of page

ダイガクコトハジメ - 青空文庫『学校』 - 『祝東京専門学校之開校立』小野梓

参考文献・書籍

​『祝東京専門学校之開校』小野梓

初出:1882(明治15)年10月21日

関連:東京専門学校早稲田大学大隈重信小野梓

注釈:東京専門学校開校式祝辞

 本校の恩人大隈公、敬賓《けいひん》及び本校諸君、余の不学短識を以て職に本校の議員に列し、その員に加わるは、甚《はなは》だ僭越《せんえつ》の事なり。然《しか》りと雖《いえども》、本校の恩人大隈公は余を許してその末に加わらしめ、校長・議員・幹事・講師諸君も亦《また》、甚《はなは》だ余を擯斥《ひんせき》せざるものの如し。これを以て余は自から吾《わ》が不学短識を忘れ、妄《みだ》りにその員に具《そな》われり。唯《ただ》余や不学短識、本校に補う所なかるべし(否々)。然れども既に隈公の知を蒙《こうむ》り、又《また》諸君の許す所となる余は、唯我が強勉と熱心とを以て、力をこの校に竭《つく》し、その及ばん限りは隈公の知に酬《むく》い、諸君の望《のぞみ》に対《こた》うべし(拍手)。願くは、本校の恩人及び諸君は、余の不学短識を捨ててその熱心を取り、余をして知己の人に酬《むく》ゆるの一端を得せしめよ(喝采)。

 余が本校の議員に列し、熱心と勉強とを以て、事に茲《ここ》に従わんと欲せしものは、唯《ひと》り隈公と諸君との知遇に感ぜしのみにあらず、蓋《けだ》し又別に自《みず》から奮《ふる》う所ありて然るなり。余は従来一箇の冀望《きぼう》を抱《いだ》けり。その冀望とは他なし、余が生前に在って吾《わ》が微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世に遺《のこ》し、私《ひそか》に後人を利するあらんと欲する、これなり。この冀望たる、余が年来の志望にして、毎《つね》に用意せし所なりと雖《いえ》ども、その事の大にして且《か》つ難《かた》きや、未だこれを全うするの歩を始むるを得ず、荏苒《じんぜん》今日に至れり。然るに、今や隈公が天下後進を利済するの仁あるに遇《あ》い、我東京専門学校の起るに及ぶ。余《わ》れ豈《あ》に微力をこの間に尽し、平生の冀望を全うするの歩を始めざるを得んや。顧《おも》うに、若《も》し隈公にして余《われ》のこれに与《あず》かるを許さず、諸君にして余を擯斥《ひんせき》するあるも、余は尚《な》お自《みず》から請うてこの事に従い、微力ながらも余が力を尽し、余が平生の冀望を全うするの途《みち》に就《つ》くなるべし。然るを、況《いわ》んや今隈公は余のこれに与かるを許し、諸君は甚《はなは》だこれを擯斥せず、余《わ》れ豈《あ》に微力をこの間に尽さざるを得んや(喝采)。

 それ、一滴の雨水も聚《あつ》まれば大洋を成し、一粒の土砂も合すれば地球を為す。余が力、微々なりと雖《いえ》ども、熱心してこれを久しきに用うれば、又|或《あるい》は積て世に利益する所あらん乎(謹聴、喝采)。

 余が本校に尽さんと欲するの心情、実にかくの如し。而《しこう》して余が本校に望む所、又|随《したがい》て大なり。余は本校に向て望む、十数年の後《の》ち漸《ようや》くこの専門の学校を改良前進し、邦語を以て我が子弟を教授する大学の位置に進め、我|邦《くに》学問の独立を助くるあらんことを(謹聴々々、大喝采)。顧《かえり》みて看《み》れば、一国の独立は国民の独立に基《もと》いし、国民の独立はその精神の独立に根ざす(謹聴々々、拍手)。而して国民精神の独立は、実に学問の独立に由《よ》るものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必《かな》らず先《ま》ずその民を独立せしめざるを得ず(大喝采)、その民を独立せしめんと欲せば、必らず先ずその精神を独立せしめざるを得ず、而してその精神を独立せしめんと欲せば、必らず先ずその学問を独立せしめざるを得ず(大喝采)。これ数の天然に出るものにして、勢《いきおい》の必至なるものなり(謹聴々々)。今の時に当て、紅海以東、独立国の躰面を全うし自国の旗章を掲ぐるものは、寥々《りょうりょう》として暁天の星の如し(謹聴)。印度《インド》は既に亡びて英国に属し、爪哇《ジャワ》はその制を荷蘭《オランダ》に受け、暹羅《シャム》はその命を英国に聞き、近時|安南《アンナン》も亦《ま》た疲れて仏蘭西《フランス》に帰する等、漠々たる亜細亜大陸の広き、能く独立の躰面を全うし、自国の旗章を翻《ひるがえ》すもの、唯《ただ》我と支那とあるのみ(謹聴々々)。我と支那とその立つ所、既にかくの如し。その勢決して処し易《やす》きにあらず。況《いわ》んや我邦の如きは、現時条約の改正すべきあり、日清韓の関係を正すべきあり、強国土壌を接して我が隙《すき》を窺《うかが》うあり、富土海城を浮べて我が利を攘《ぬす》まんと欲するものあり、その国勢の切迫する、決して安静の時に非らざるなり(謹聴、喝采)。惟《おも》うに、この間に処して独立の躰面を全うする、事|甚《はなは》だ容易ならず。苟《いやし》くも我国民の元気を養い、その独立精神を発達し、これを以てこれが衝《しょう》に当るに非らざれば、帝国の独立、誠に期し難し(謹聴々々)。それ、国民の元気を養い、その精神を独立せしむるの術、頗《すこぶ》る少なからず。然れどもその永遠の基を開き、久耐の礎《いしずえ》を建つるものに至ては、唯《た》だ学問を独立せしむるに在るのみ(大喝采)。我邦《わがくに》学問の独立せざる久し。王仁《わに》儒学を伝えてより以来、今日に至る迄《ま》で凡《およ》そ二千余年の間、未だ曾て所謂《いわゆ》る独立の学問なるものありて我が子弟を教授せしを見ず(謹聴)。或《あるい》は直に漢土の文学を学び、或は直ちに英米の学制に模し、或は直に仏蘭西の学風に似せ、今や又《また》独逸《ドイツ》の学を引てこれを子弟に授けんと欲するの傾きあり(苦笑、拍手、謹聴)。その外国に依頼して而《しか》も変転自から操る所なき、かくの如し。顧《おも》うに、これ学問を独立せしむるの妙術なる乎《か》、全く断じてその然らざるを知るなり(謹聴、喝采)。

 抑《そもそ》も、学問を独立せしむるの要術、甚だ多《お》うし。然れども、今日の事たる、勉《つと》めて学者をして講学の便宜を得せしめ、勉めてその講学の障碍《しょうがい》を※[#「縊のつくり+蜀」、第4水準2-88-2]《のぞ》くより切なるはなし(謹聴、拍手)。隈公|嘗《かつ》て梓《あずさ》に語て曰《い》えるあり。曰《いわ》く、我邦学問の独立せざる久し、而《しこう》してその未だ独立せざるものは、職《つとめ》として、学者に与うるに名誉と利益とを以てせざるに因る、これを以て、今の時に当て、我政府は森林を択てこれを皇家の有に帰し、皇家はその収益を散じてこれを天下の学者に与え、これをして終世学問の蘊奥《うんのう》を講求するの便を得せしめ、以て学問を独立せしめざるべからずと。公の言う所、実に善し。天下の学者宜しく公を徳とすべし(大喝采)。而して余を以てこれを見れば、その外国の文書言語に依て我子弟を教授し、これに依るにあらざれば高尚の学科を教授すること能《あた》わざるが如き、又《また》これ学者講学の障碍を為すものにして、学問の独立を謀《はか》る所以《ゆえん》の道にあらざるを知るなり(拍手)。それ、人類の力に限りあり、万象の学は窮《きわ》まりなし、限りあるの力を以て窮まりなきの学を講ず、終始これに従事するも猶《な》お且《か》つ足らざるを覚ゆ。然《しか》るを、今外国の言語文書に依てこれを教授せば、これが子弟たるもの、勢い学問の実体を講ずるの力を分てこれを外語の修習に用い、以て大に有用の時を耗《そこな》い、為めに講学の勢力を途中に疲らし、所謂《いわゆ》る諸学の蘊奥を極むるの便利を阻碍《そがい》するに至らん。これ豈《あ》に学問の独立を謀る所以の道ならん哉(謹聴、喝采)。顧《おも》うに、皇家を輔《たす》け天下の学者を優待するは、内閣諸君の責なり。唯だその障碍を※[#「縊のつくり+蜀」、第4水準2-88-2]《のぞ》き、学者をして学問の実体を講ずるの力を寛《ゆたか》ならしむるものに至らば、在野の人と雖《いえど》も亦《ま》たその責を分たざるを得ず(謹聴、喝采)。而して、本校の邦語を以て専門の学科を教授し、漸《ようや》く子弟講学の便を得せしめんと欲するが如き、蓋《けだ》しその責を尽すの一ならん(拍手)。惟うに、本校にしてその操る所を誤まらず、忍耐勉強してこれが改良前進に従事し、十数年の後、これを進めて大学の位置に致すをせば、余《わ》れその学問を独立せしむるの道に於て裨補《ひほ》少なからざるを信ずるなり(大喝采)。これ余が本校に向て冀望する所以の首要にして、微々ながらも余の力を出し、これを茲《ここ》に用いんと欲する所なり。校長・議員・幹事・講師及び学生諸君は必らず余の冀望を嘉《よ》みし、共にその力を出し、以て本校の隆盛を謀り、恩人隈公が万余の義金を捐《す》ててこの校を建て、年々数千の公資を擲《なげうち》てこの校を維持せらるるの盛意に背《そむ》くなきを信ずるなり(拍手、大喝采)。

 余が本校の将来に冀望すること、かくの如くそれ大なり。然れども、天下の事物は緩急順序あり。苟《いやし》くもその緩と急とを択《えら》ばず、その順序を失するあらば、一身の細事|猶《な》お且つ挙らず、況んや天下大事の一たる子弟教育の事に於てをや(謹聴々々)。校長君は開校の詞を述べて曰《い》えらく、天下更始、新主義の学起る、都鄙《とひ》の子弟争てこれを講じ、早くこれを実際に応用せんと欲す、速成の教授今日に切なるが如しと。本邦今日の事情、実にかくの如し。而して特に政治・法律の二学の如きは、最も今日に速成を要するが如し。論ずる者、或は都鄙《とひ》政談の囂々《ごうごう》たるを憂い、天下子弟の法律・政治の学に流れて、理学を修めざるを咎《とが》むと雖《いえど》も、これ未《いま》だ今日の実情を究めざるの罪なり。抑《そもそ》も、天下の子弟たるもの、理学を修むるを捨てて政治・法律の修業にのみこれ走るは、国家の美事と謂《い》うべからず。然れども、今日の子弟にして政治・法律の二学に赴《おもむ》き、滔々《とうとう》として所在|皆《み》なこれなるは、決して偶然に出るにあらざるなり(喝采、拍手)。凡《およ》そ事物の供給は、皆その需用あるに根ざす、苟《いやしく》もその需用にして存する勿《な》からしめん乎、供給決してこれに応ずることあらざるなり。惟うに、今の子弟たるもの相率《あいひきい》て政治・法律の学に赴き、滔々として所在皆なこれなるものは、政学・法学の今本邦に需用ありてこれに応ぜんと欲するものにあらざるなきを得んや(大喝采)。今余を以てこれを観《み》るに、本邦政治の改良すべきもの、法律の前進すべきもの、一にして足らず、殆《ほと》んど皆なこれを更始すべきが如し(大喝采)。これ所謂《いわゆ》る政学・法学に需用あるものにして、子弟の相率いてこの二学に赴くは、蓋《けだ》しこの需用に応ぜんと欲するものなるのみ(謹聴々々、拍手、喝采)。然《しか》るを、論者その本を極めず、一概にその末を取て咎を今日の子弟に帰す。余|未《いま》だその可なる所以を知らざるなり(大喝采)。顧うに、この勢を一転し、天下の子弟をしてその学歩を理学の域に取らしめんと欲せば、早く天下の政治を改良し、その法律を前進せしめざるべからず(大喝采)。苟《いやしく》もこれを改良前進せずして、子弟の法政の学に赴くなからんことを冀《こいねが》うは、抑《そもそ》もこれ誤まれり(謹聴々々、大喝采)。今や本校の政治・法律を先にし而して理学に及ぼすものは、その意|敢《あえ》て理学を軽じてこれを後にせしものにあらざるべし。唯《た》だ、今の時に当て政治を改良し、法律を前進するにあらざれば、天下の子弟を導てその歩を理学の域に進ましむるに便ならず。故に先《ま》ずその二学を盛にし、その得業《とくぎょう》学生の力に依てこの政治を改良し、この法律を前進し(謹聴々々)、以て大に形体の学を進むるの地歩を為さんと欲するものならん(喝采)。これ実に事理の緩急順序を得るものにして、余の深く賛成する所なり。但だ理学や尊とし、大にこれを勧むるにあらざれば、国土の実利、遂に収むべからず(謹聴々々)。蓋《けだ》しこれ本校の世好に拘《かか》わらずその理学の一科を設け、数年の後《の》ち大にこれを勧むるの地歩を為さんと欲するもの乎《か》。余、その用意の疎ならざるを賀するなり(喝采)。而して本校の学生諸君にして、学に理学に従わんと欲するものは、宜しく益※[#二の字点、1-2-22]《ますます》その志想を堅くし、今日の風潮以外に立ち、異日の好菓を収むべし。これ余が諸君に至嘱《ししょく》する所なり(大喝采)。

 又《ま》た正科の外、別に英語の一科を設け、子弟をして深く新主義の蘊奥《うんのう》に入り、詳《つまびらか》にその細故《さいこ》を講ずるの便を得せしめんと欲するは、余の諸君と共に賛する所なり。惟うに、新主義の学を講ずる、唯《ひと》りその通般の事を知るに止るべからず、必らずやその蘊奥を極め、又《ま》た事に触れ、勢《いきおい》に応じてこれが細故を講究すべきの事多うし。然るに、若《も》し子弟をして自から原書を読むの力を備えしめず、直に海外の事を究むるの便を欠くあらしめば、時に臨み事に触れ、許多《あまた》の遺憾を抱《いだ》くあらしめん。況んや、且つ本邦の学問をしてその独立を全うせしめんと欲せば、勢い深く欧米の新義を講じ、大にその基を堅くせざるべからず(謹聴々々)。本校、蓋《けだ》し茲《ここ》に見るあり。故に英学の一科を設け、我学生をして大に原書を自読するの力を養わしめんと欲す。余輩|豈《あ》にこれを賛成せざるを得んや。而《しこう》してその原書を授くるや、これを独逸に取らず、これを仏蘭西に取らず、却てこれを英語に取るものは、抑《そもそ》もこれ偶然の事にあらざるべし(拍手)。顧うに、独逸の学、その邃《すい》を極めざるにあらず、仏蘭西の教、その汎《はん》を尽さざるにあらず。然《しか》れども、人民自治の精神を涵養《かんよう》し、その活溌《かっぱつ》の気象を発揚するものに至ては、勢い英国人種の気風を推《お》さざるを得ず(大喝采)。これ本校が独語に取らず仏語に取らず、故《ことさ》らにこれを英語に取り、以てこれを子弟に授くるもの乎《か》(謹聴)。その用意、又密なりと謂《いい》つべし。論者、間々《まま》、或《あるい》は少年子弟の自治の精神を涵養し、その活溌の気象を発揚するを喜びず、強《しい》てその輩《やから》を駆《かり》てこれを或る狭隘《きょうあい》なる範囲内に入れ、その精神を抑《おさ》え、その気象を制せんと欲するものあり。然れども、これ国を誤まるの蠹虫《とちゅう》なり(拍手、喝采)。諸君はその宋儒の学問が支那と我|邦《くに》の元気を遅鈍にし、為めに一国の衰弊《すいへい》を致せしを知るならん。彼《か》れ宋儒は人民精神の発達を忌《いみ》てこれを希《こいねが》わず、寧《むし》ろこれを或る範囲内に入れ、その自主を失なわしめ、唯だ少年の子弟をして徒《いたず》らに依頼心を増長せしめ、その極や卑屈自から愧《は》じず、終《つい》に一国の衰弊を致したるにあらずや(大喝采)。然るを、論者これを察せず、漸《ようや》く活溌に赴《おもむ》くの気象を抑えてこれに赴かしめず、将《まさ》に自治に入らんと欲するの精神を制してこれに入るなからしめんとす。これ豈《あ》に宋儒の陋轍《ろうてつ》に做うものにあらざらんや(謹聴)。

 今や国家事多うし。宜しく少年の子弟をして益※[#二の字点、1-2-22]自治の精神を涵養《かんよう》し、愈※[#二の字点、1-2-22]《ますます》活溌の気象を発揚せしむべし。豈《あ》に敢《あえ》てこれを抑制し、以て漸《ようや》く将《まさ》に復せんと欲するの元気を再衰せしむるを得んや(大喝采)。而してこれを涵養し、これを発揚するの要に至ては、勢い英国人種の跡に述べ従い、以て人生自主の中庸を得せしめざるべからず(喝采)。況《いわ》んや理学の如きも、近時に及んで米洲《べいしゅう》別に一軌軸を出し、将に宇内に冠たらんとするの望みあり。蘇言《そげん》の器、伝話の機等、近時の新発明に係《かかわ》るもの、殆んど皆な米人の手にならざるはなく、英国人種の学問に富む、又決して政治の上に止まらざるなり(謹聴)。本校、蓋《けだ》しこれに見るあり。故に独逸を捨てて取らず、仏蘭西を措《おい》て顧みず、却て英書を取てこれを我学生に授け、以て大に新主義の蘊奥を極むるの利を与え、以て詳《つまびらか》にその細故を講ずるの便を得せしめ、往々学問の独立を謀らんと欲するものならん。その意、誠に偶然にあらざるを知るなり(拍手、喝采)。


 最後に、余は一の冀望を表し、これを本校の諸君に求め、天下の人衆をして本校の公明正大なるを知らしめんと欲するものあり。これ他なし、本校をして本校の本校たらしめんと欲する、これなり。今《い》まこれを再言すれば、東京専門学校をして政党以外に在て独立せしめんと欲する、これなり(大喝采)。余は本校の議員にして立憲改進党員なり。今《い》ま党員たるの位地よりしてこれを言えば、本校の学生諸君をして咸《ことごと》く改進の主義に遵《したが》わしめ、皆《み》なその旗下に属せしめんと欲するは、固《もと》よりその所なり(大喝采)。然れども、余が議員たるの位置よりしてこれを言えば、暗々裏に学生諸君を誘導してこれを我党に入るるが如き、卑怯の挙動あるを恥《は》ず(大喝采)。惟《おも》うに、本校の目的たる、学生諸君をして速《すみやか》に真正の学問を得せしめ、早くこれを実際に応用せしめんと欲するに在るのみ(謹聴、拍手)。故に、諸君にして真正の学識を積むあらん乎《や》、本校の意足れり。本校、又別に求むる所あらざるべし(謹聴、拍手)。而《しこう》して異日学生諸君が卒業の後、政党に加入せんと欲せば、一に皆《み》な諸君が本校に得たる真正の学識に依て自《みず》からこれを決すべし(謹聴、大喝采)。本校は、決して、諸君が改進党に入ると自由党に入ると乃至《ないし》帝政党に入るとを問て、その親疎を別《わか》たざるなり(大喝采)。惟うに、これ余一人の冀望なるに止まらず、恩人隈公・校長・議員・幹事及び講師諸君も、亦《ま》た均《ひと》しく斯《この》冀望を抱《いだ》き、共に本校の独立を冀《ねが》い、共に他の干渉を受けざるを望むならん。然るを、世の通ぜざるもの、間々《まま》これを疑うあり。蓋し又|陋《せま》しと謂つべし(謹聴々々)。而して余がこの冀望たるや、独りこれを我《わが》東京専門学校に求むるのみならず、又広くこれを官私の学校に求め、これをして各※[#二の字点、1-2-22]《おのおの》政党の以外に独立せしめ、以て学校の学校たる本質を全うせしめんことを望むなり(拍手、大喝采)。

 今やこの開校の期に遇《あ》い、親しくその式に与《あず》かる。故に聊《いささ》か余が心情と冀望とを述べ、以てこの開校を祝するの詞《ことば》と為す。惟うに、恩人隈公、及その他の諸君は、余が説を容《い》るるや否《いなや》(拍手、大喝采)。




底本:「早稲田大学」岩波現代文庫、岩波書店
   2015(平成27)年1月16日第1刷発行
初出:「祝東京専門学校之開校」と題して東京専門学校開校式での演説
   1882(明治15)年10月21日
※底本のテキストは、手書き稿本によります。
※「余《わ》れ」と「余《われ》」の混在は、底本通りです。
※「冀」に対するルビの「こいねが」と「ねが」の混在は、底本通りです。
入力:フクポー
校正:岡村和彦
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

bottom of page