我が慶應義塾の教育法は、学生諸氏もすでに知る如く、創立のその時より実学を勉め、西洋文明の学問を主として、その真理原則を重んずることはなはだしく、この点においては一毫《いちごう》の猶予《ゆうよ》を仮《か》さず、無理無則、これ我が敵なりとて、あたかも天下の公衆を相手に取りて憚《はばか》るところなく、古学主義の生存するところを許さざるほどに戦う者なりといえども、また一方より見れば、学問教育を軽蔑することもまた、はなはだし。
けだしそのこれを軽蔑するとは、学理を妄談なりとして侮《あなど》るに非ず、ただこれを手軽にみなして、いかなる俗世界の些末事《さまつじ》に関しても、学理の入るべからざるところはあるべからずとの旨を主張し、内にありては人生の一身一家の世帯より、外に出ては人間の交際、工商の事業にいたるまで、事の大小遠近の別なく、一切万事、我が学問の領分中に包羅《ほうら》して、学事と俗事と連絡を容易にするの意なり。語をかえていえば、学問を神聖に取扱わずして、通俗の便宜に利用するの義なり。
ゆえに本塾の教育は、まず文学を主として、日本の文字文章を奨励し、字を知るためには漢書をも用い、学問の本体はすなわち英学にして、英字、英語、英文を教え、物理学の普通より、数学、地理、歴史、簿記法、商法律、経済学等に終り、なお英書の難文を読むの修業として、時としては高尚至極の原書を講ずることもあり。また道徳の課にいたりては、特別に何主義を限らず、ただ教師朋友相互の責善《せきぜん》談話をもって根本となし、その読むところの書は人々の随意に任じ、嘉言善行の実をしておのずから塾窓の中に盛ならしむるを勉むるのみ。
初出:1886(明治19)年2月2日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。