凡《およ》そ斯《こ》う云う風《ふう》で、外に出ても亦《また》内に居ても、乱暴もすれば議論もする。ソレ故|一寸《ちょい》と一目《いちもく》見た所では――今までの話だけを開《きい》た所では、如何《いか》にも学問どころの事ではなく唯《ただ》ワイ/\して居たのかと人が思うでありましょうが、其処《そこ》の一段に至ては決して爾《そ》うでない。
学問勉強と云《い》うことになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩《わずろ》うて幸《さいわい》に全快に及んだが、病中は括枕《くくりまくら》で坐蒲団《ざぶとん》か何かを括《くく》って枕にして居たが、追々《おいおい》元の体に恢復《かいふく》して来た所で、只《ただ》の枕をして見たいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居して居たので、兄の家来が一人《ひとり》あるその家来に、只の枕をして見たいから持《もっ》て来いと云《いっ》たが、枕がない、どんなに捜《さが》してもないと云うので、不図《ふと》思付《おもいつ》いた。
是《こ》れまで倉屋敷に一年ばかり居たが遂《つい》ぞ枕をしたことがない、と云うのは時は何時《なんどき》でも構わぬ、殆《ほと》んど昼夜の区別はない、日が暮れたからと云て寝ようとも思わず頻《しき》りに書を読んで居る。読書に草臥《くたび》れ眠くなって来れば、机の上に突臥《つっぷ》して眠るか、或《あるい》は床の間の床側《とこふち》を枕にして眠るか、遂ぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどゝ云うことは只の一度《いちど》もしたことがない。その時に始めて自分で気が付《つい》て、「成程《なるほど》枕はない筈《はず》だ、是《こ》れまで枕をして寝たことがなかったから」と始めて気が付きました。
是れでも大抵《たいてい》趣《おもむき》が分りましょう。是れは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵皆そんなもので、凡《およ》そ勉強と云《い》うことに就《つい》ては実にこの上に為《し》ようはないと云う程に勉強して居ました。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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