塾員は不規則と云《い》わんか不整頓と云わんか乱暴|狼藉《ろうぜき》、丸で物事に無頓着《むとんじゃく》。その無頓着の極《きょく》は世間で云《い》うように潔不潔、汚ないと云うことを気に止《と》めない。例えば、塾の事であるから勿論《もちろん》桶《おけ》だの丼《どんぶり》だの皿などの、あろう筈《はず》はないけれども、緒方の塾生は学塾の中に居ながら七輪《しちりん》もあれば鍋もあって、物を煮て喰《く》うと云うような事を不断|遣《やっ》て居る、その趣《おもむき》は恰《あたか》も手鍋|世帯《じょたい》の台所見たような事を机の周囲《まわり》で遣《やっ》て居た。けれども道具の足ると云うことのあろう筈はない。ソコで洗手盥《ちょうずだらい》も金盥《かなだらい》も一切|食物《しょくもつ》調理の道具になって、暑中など何処《どこ》からか素麺《そうめん》を貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮《ゆで》て貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥を持《もっ》て来て、その中で冷《ひや》素麺にして、汁《つゆ》を拵《こしら》えるに調合所の砂糖でも盗み出せば上出来、その外《ほか》、肴《さかな》を拵えるにも野菜を洗うにも洗手盥は唯一のお道具で、ソンナ事は少しも汚ないと思わなかった。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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