私は塾長になってから表向《おもてむき》に先生|家《か》の賄《まかない》を受けて、その上に新書生が入門するとき先生|家《か》に束脩《そくしゅう》を納めて同時に塾長へも金《きん》貳朱《にしゅ》を呈《てい》すと規則があるから、一箇月に入門生が三人あれば塾長には一分《いちぶ》二朱の収入、五人あれば二分二朱にもなるから小遣銭《こづかいせん》には沢山《たくさん》で、是《こ》れが大抵《たいてい》酒の代になる。衣服《きもの》は国の母が手織木綿《ておりもめん》の品《しな》を送《おくっ》て呉《く》れて夫《そ》れには心配がないから、少しでも手許《てもと》に金があれば直《すぐ》に飲むことを考える。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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