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文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。

蕃書調所 | ​『福翁自伝』福沢諭吉 -14

 その前に私が横浜に行《いっ》た時にキニツフルの店で薄い蘭英会話書を二冊|買《かっ》て来た。ソレを独《ひとり》で読《よむ》とした所で字書《じしょ》がない。英蘭対訳の字書があれば先生なしで自分|一人《ひとり》で解《げ》することが出来るから、どうか字書を欲《ほし》いものだと云《いっ》た所で横浜に字書などを売る処はない。何とも仕方がない。所がその時に九段下に蕃書調所《ばんしょしらべじょ》と云う幕府の洋学校がある。其処《そこ》には色々な字書があると云うことを聞出《ききだ》したから、如何《どう》かしてその字書を借りたいものだ、借りるには入門しなければならぬ、けれども藩士が出抜《だしぬ》けに公儀(幕府)の調所《しらべじょ》に入門したいと云ても許すものでない、藩士の入門|願《ねがい》にはその藩の留守居《るすい》と云うものが願書に奥印《おくいん》をして然《しか》る後《のち》に入門を許すと云う。


 夫《そ》れから藩の留守居の処に行て奥印の事を頼み、私は※[#「ころもへん+上」、第4水準2-88-9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2-88-10]《かみしも》を着て蕃書調所に行て入門を願うた。その時には箕作麟祥《みつくりりんしょう》のお祖父《じい》さんの箕作|阮甫《げんぽ》と云う人が調所の頭取《とうどり》で、早速《さっそく》入門を許して呉《く》れて、入門すれば字書を借《か》ることが出来る。直《すぐ》に拝借を願うて、英蘭対訳の字書を手に請取《うけとっ》て、通学生の居る部屋があるから其処《そこ》で暫《しばら》く見て、夫れから懐中の風呂敷を出してその字書を包《つつん》で帰ろうとすると、ソレはならぬ、此処《ここ》で見るならば許して苦しくないが、家に持帰《もちかえ》ることは出来ませぬと、その係の者が云う。こりゃ仕方がない、鉄砲洲《てっぽうず》から九段阪下まで毎日|字引《じびき》を引きに行くと云《い》うことは迚《とて》も間《ま》に合《あわ》ぬ話だ。ソレも漸《ようや》く入門してたった一日|行《いっ》た切《ぎり》で断念。


初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号



文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。


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