早稲田大学 | 『祝東京専門学校之開校』小野梓 -1 余は従来一箇の冀望《きぼう》を抱《いだ》けり。その冀望とは他なし、余が生前に在って吾《わ》が微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世に遺《のこ》し、私《ひそか》に後人を利するあらんと欲する、これなり。この冀望たる、余が年来の志望にして、毎《つね》に用意せし所なりと雖《いえ》ども、その事の大にして且《か》つ難《かた》きや、未だこれを全うするの歩を始むるを得ず、荏苒《じんぜん》今日に至れり。 然るに、今や隈公が天下後進を利済するの仁あるに遇《あ》い、我東京専門学校の起るに及ぶ。余《わ》れ豈《あ》に微力をこの間に尽し、平生の冀望を全うするの歩を始めざるを得んや。引用:『祝東京専門学校之開校』小野梓初出:1882(明治15)年10月21日関連:東京専門学校・早稲田大学・大隈重信・小野梓大学事始「年表でつづる、大学の ”始まり” 物語。」文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
余は従来一箇の冀望《きぼう》を抱《いだ》けり。その冀望とは他なし、余が生前に在って吾《わ》が微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世に遺《のこ》し、私《ひそか》に後人を利するあらんと欲する、これなり。この冀望たる、余が年来の志望にして、毎《つね》に用意せし所なりと雖《いえ》ども、その事の大にして且《か》つ難《かた》きや、未だこれを全うするの歩を始むるを得ず、荏苒《じんぜん》今日に至れり。 然るに、今や隈公が天下後進を利済するの仁あるに遇《あ》い、我東京専門学校の起るに及ぶ。余《わ》れ豈《あ》に微力をこの間に尽し、平生の冀望を全うするの歩を始めざるを得んや。引用:『祝東京専門学校之開校』小野梓初出:1882(明治15)年10月21日関連:東京専門学校・早稲田大学・大隈重信・小野梓大学事始「年表でつづる、大学の ”始まり” 物語。」文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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