扨《さて》四月になった所で普請も出来上り、塾生は丁度慶応三年と四年の境が一番諸方に散じて仕舞《しまっ》て、残《のこっ》た者は僅《わずか》に十八人、夫れから四月になった所が段々|帰《かえっ》て来て、追々塾の姿を成して次第に盛《さかん》になる。又盛になる訳《わ》けもある、と云《い》うのは今度私が亜米利加《アメリカ》に行た時には、其《それ》以前、亜米利加に行た時よりも多く金を貰《もら》いました。所《ところ》で旅行中の費用は都《すべ》て官費であるから、政府から請取《うけとっ》た金は皆手元に残る故《ゆえ》、その金を以《もっ》て今度こそは有らん限りの原書を買《かっ》て来ました。
大中小の辞書、地理書、歴史等は勿論、その外《ほか》法律書、経済書、数学書などもその時殆めて日本に輸入して、塾の何十人と云《い》う生徒に銘々《めいめい》その版本を持たして立派に修業の出来るようにしたのは、実に無上の便利でした。ソコデその当分十年余も亜米利加《アメリカ》出版の学校読本が日本国中に行われて居たのも、畢竟《ひっきょう》私が始めて持《もっ》て帰《かえっ》たのが因縁《いんえん》になったことです。その次第は生徒が始めて塾で学ぶ、その学んで卒業した者が方々《ほうぼう》に出て教師になる、教師になれば自分が今まで学んだものをその学校に用るのも自然の順序であるから、日本国中に慶応義塾に用いた原書が流布《るふ》して広く行われたと云うのも、事の順序はよく分《わかっ》て居ます。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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