亜米利加《アメリカ》から帰《かえっ》てから塾生も次第に増して相替《あいかわ》らず教授して居る中《うち》に、私は亜米利加渡航を幸《さいわい》に彼の国人《こくじん》に直接して英語ばかり研究して、帰てからも出来るだけ英書を読むようにして、生徒の教授にも蘭書は教えないで悉《ことごと》く英書を教える。
所がマダなか/\英書が六《むず》かしくて自由自在に読めない。読めないから便《たよ》る所は英蘭対訳の字書のみ。教授とは云《い》いながら、実は教うるが如《ごと》く学ぶが如く、共に勉強して居る中に、私は幕府の外国方《がいこくがた》(今で云えば外務省)に雇われた。その次第は外国の公使領事から政府の閣老《かくろう》又は外国奉行へ差出す書翰《しょかん》を飜訳する為《た》めである。当時の日本に英仏等の文を読む者もなければ書く者もないから、諸外国の公使領事より来る公文には必ず和蘭《オランダ》の飜訳文を添うるの慣例にてありしが、幕府人に横文字《よこもじ》読む者とては一人《ひとり》もなく、止《や》むを得ず吾々《われわれ》如き陪臣《ばいしん》(大名の家来)の蘭書読む者を雇うて用を弁じたことであるが、雇われたに就《つい》ては自《おのず》から利益のあると云うのは、例えば英公使、米公使と云うような者から来る書翰の原文が英文で、ソレに和蘭の訳文が添うてある。如何《どう》かしてこの飜訳文を見ずに直接《じか》に英文を飜訳してやりたいものだと思《おもっ》て試みる、試みて居る間《あいだ》に分《わか》らぬ処がある、分らぬと蘭訳文を見る、見ると分ると云うような訳《わ》けで、なか/\英文研究の為めになりました。
ソレからもう一つには幕府の外務省には自《おのず》から書物がある、種々《しゅじゅ》様々な英文の原書がある。役所に出て居て読むのは勿論《もちろん》、借りて自家《うち》へ持《もっ》て来ることも出来るから、ソンな事で幕府に雇われたのは身の為《た》めに大に便利になりました。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。