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文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。

学生(~江戸幕末) | ​『福翁自伝』福沢諭吉 -2

 今度出るには藩に願書を出さなければならぬ。可笑しいとも何とも云いようがない。是《こ》れまで私は部屋住《へやずみ》だから外《ほか》に出るからと云て届《とどけ》も願《ねがい》も要《い》らぬ、颯々《さっさつ》と出入《でいり》したが、今度は仮初《かりそめ》にも一家の主人であるから願書を出さなければならぬ。


 出抜《だしぬ》けに蘭学の修業に参りたいと願書を出すと、懇意なその筋の人が内々《ないない》知らせて呉《く》れるに、「それはイケない。蘭学修業と云《い》うことは御家《おいえ》に先例のない事だ」と云う。「そんなら如何《どう》すれば宜《よ》いか」と尋れば、「左様《さよう》さ。砲術修業と書いたならば済むだろう」と云う。「けれども緒方《おがた》と云えば大阪の開業医師だ。お医者様の処に鉄砲を習いに行くと云うのは、世の中に余り例のない事のように思われる。是《こ》れこそ却《かえっ》て不都合な話ではござらぬか。」「イヤ、それは何としても御例《ごれい》のない事は仕方がない。事実相違しても宜《よろ》しいから、矢張《やは》り砲術修業でなければ済まぬ」と云うから、「エー宜しい。如何《どう》でも為《し》ましょう」と云《いっ》て、ソレカラ私儀《わたくしぎ》大阪|表《おもて》緒方|洪庵《こうあん》の許《もと》に砲術修業に罷越《まかりこ》したい云々《うんぬん》と願書を出して聞済《ききずみ》になって、大阪に出ることになった。


 大抵《たいてい》当時の世の中の塩梅式《あんばいしき》が分るであろう、と云うのは是《こ》れは必ずしも中津一藩に限らず、日本国中|悉《ことごと》く漢学の世の中で、西洋流など云うことは仮初《かりそめ》にも通用しない。俗に云う鼻掴《はなつま》みの世の中に、唯《ただ》ペルリ渡来の一条が人心を動かして、砲術だけは西洋流儀にしなければならぬと、云《い》わば一線《いっせん》の血路《けつろ》が開けて、ソコで砲術修業の願書で穏《おだやか》に事が済んだのです。


初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号

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