井伊掃部頭《いいかもんのかみ》はこの前殺されて、今度は老中の安藤対馬守《あんどうつしまのかみ》が浪人に疵《きず》を付けられた。その乱暴者の一人が長州の屋敷に駈込《かけこ》んだとか何とか云《い》う話を聞て、私はその時始めて心付いた、成るほど長州藩も矢張《やは》り攘夷の仲間に這入《はいっ》て居るのかと斯《こ》う思たことがある。
兎《と》にも角《かく》にも日本国中攘夷の真盛《まっさか》りでどうにも手の着けようがない。所で私の身にして見ると、是《こ》れまでは世間に攘夷論があると云う丈《だ》けの事で、自分の身に就《つい》て危《あやう》いことは覚えなかった。大阪の塾に居る中に勿論暗殺などゝ云うことのあろう筈はない。又江戸に出て来たからとて怖い敵もなければ何でもないと計《ばか》り思《おもっ》て居た所が、サア今度|欧羅巴《ヨーロッパ》から帰《かえっ》て来たその上はなか/\爾《そ》うでない。段々|喧《やかま》しくなって、外国貿易をする商人が俄《にわか》に店を片付けて仕舞《しま》うなどゝ云《い》うような事で、浪人と名《なづ》くる者が盛《さかん》に出て来て、何処《どこ》に居て何をして居るのか分らない。丁度今の壮士《そうし》と云うようなもので、ヒョコ/\妙な処から出て来る。
外国の貿易をする商人さえ店を仕舞うと云うのであるから、況《ま》して外国の書を読《よん》で欧羅巴《ヨーロッパ》の制度文物を夫《そ》れ是《こ》れと論ずるような者は、どうも彼輩《あいつ》は不埒《ふらち》な奴じゃ、畢竟《ひっきょう》彼奴等《あいつら》は虚言《うそ》を吐《つい》て世の中を瞞着《まんちゃく》する売国奴《ばいこくど》だと云うような評判がソロ/\行《おこなわ》れて来て、ソレから浪士の鋒先《ほこさき》が洋学者の方に向いて来た。是れは誠に恐入《おそれいっ》た話で、何も私共は罪を犯した覚えはない。是れはマア何処まで小さくなれば免《まぬか》るゝかと云うと、幾ら小さくなっても免れない。到頭《とうとう》仕舞《しまい》には洋書を読むことを罷《や》めて仕舞うて攘夷論でも唱えたらば、ソレはお詫《わび》が済むだろうが、マサカそんな事も出来ない。此方《こっち》が無頓着《むとんじゃく》に思う事を遣《や》ろうとすれば、浪人共は段々きつくなって来る。
引用:『福翁自伝』福沢諭吉
初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号
関連:福沢諭吉
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。
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