大学予備門・第一高等学校大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -4丁度《ちょうど》予科の三年、十九歳頃のことであったが、私の家は素《もと》より豊かな方ではなかったので、一つには家から学資を仰がずに遣《や》って見ようという考えから、月五円の月給で中村是公氏と共に私塾の教師をしながら予科の方へ通っていたことがある。...
大学予備門・第一高等学校大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -3一寸《ちょっと》ここで、此の頃の予備門に就《つい》て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことになった。結局《つまり》総体の年数から...
大学予備門・第一高等学校大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -2既に中学が前いう如く、正則、変則の二科に分れて居り、正則の方を修めた者には更に語学の力がないから、予備門の試験に応じられない。此等の者は、それが為め、大抵《たいてい》は或る私塾などへ入って入学試験の準備をしていたものである。...
大学予備門・第一高等学校大学予備門 | 『私の経過した学生時代』夏目漱石 -1今の東京府立第一中学――其の頃一ツ橋に在《あ》った――に入ったのであるが、何時《いつ》も遊ぶ方が主になって、勉強と云う勉強はしなかった。尤《もっと》も此学校に通っていたのは僅《わず》か二三年に止り、感ずるところがあって自《みずか》ら退《ひ》いて了《しま》ったが、それには曰《...