医学校/大学東校

 

大槻俊斎

おおつきしゅんさい

1806(文化3)年 - 1862(文久2)年4月9日/5月7日

1806(文化3)年

  • 大槻俊斎、陸奥国桃生郡赤井村(現在の宮城県東松島市)に生まれる。

1858(安政5)年5月

  • 大槻俊斎(51-52歳)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトよりオランダ医学を学んだ伊東玄朴・戸塚静海らを中心に蘭方医83名が出資、江戸に「お玉が池種痘所」開設。所長となる。

1858(安政5)年11月

  • 大槻俊斎(51-52歳)、神田相生町からの出火で「お玉ヶ池種痘所」消失。伊東玄朴と共に自宅を臨時の種痘所に、種痘業務を続ける。

1860(万延元)年9月1日

  • 大槻俊斎(53-54歳)、将軍徳川家茂に拝謁、お目見え医師となる。

1860(万延元)年10月27日

  • 大槻俊斎(53-54歳)、陸奥国仙台藩医より幕府医師に登用される。

1860(万延元)年10月27日

  • 大槻俊斎(53-54歳)、「種痘所」が幕府に接収され、官立に。初代頭取に。「東京大学医学部」の前身とされていることより、東大医学部初代総長ともみなされる。

1862(文久2)年

  • 大槻俊斎(55-56歳)、「西洋医学所」初代頭取にあったが、病床につく。後任に、幕命により大阪から「適塾」の緒方洪庵が呼び出され、2代頭取就任。

1862(文久2)年4月9日/5月7日

  • 大槻俊斎(55-56歳)、死去。