ダイガクコトハジメ - 東京経済大学
東京経済大学
創立 : 1900(明治33)年9月1日
大学設立: 1949(昭和24)年4月1日
創立者 : 大倉喜八郎
前史 :
大倉商業学校 → 大倉経済専門学校 → 大倉高等商業学校 → 大倉経済専門学校 → 東京経済大学
「東京経済大学」年表
1898(明治31)年
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大倉喜八郎(54-55歳)、「大倉商業学校」設立趣意書を公表、西洋諸国と並ぶ商業の知識・道徳を備える人材を育てるため、私財を投ずることを決意。創立委員に渋沢栄一、渡辺洪基、石黒忠悳が名を連ねる。
1899(明治32)年8月3日公布 8月4日施行
私立学校令、私立学校のみを対象とする最初。私学の基盤を一定整備、日本の近代教育の中で存在が正当なものに位置付けられる。同時に、私学は直接・間接的に国家の教育政策からの強い統制を受けることに。
1900(明治33)年9月1日
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大倉喜八郎(56歳)、還暦銀婚祝賀式の記念事業として、私財50万円を投じて「大倉商業学校」を創設。ロンドンタイムズなどで美挙と報じられる。港区赤坂葵町(現在の港区虎ノ門)の邸宅(現在はホテルオークラ、大倉集古館が建つ)の隣接地に開校。
1900(明治33)年9月1日
1900(明治33)年
1903(明治36)年3月27日公布
専門学校令、中等教育修了者を対象に高等専門教育を実施する「専門学校(旧制専門学校)」を規定。「高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス」と大枠を定める。専門学校には、予科・研究科・別科を設置することが認められる。専門学校令によって設立された専門学校は、宗教系学校、女子専門学校、医学専門学校、歯科医学専門学校、薬学専門学校、外国語学校など多岐にわたり、多様な高等専門教育機関が生まれる。
1918(大正7)年12月6日公布 1919(大正8)年4月1日施行
大学令、原敬内閣の高等教育拡張政策に基づき、法制度上における「帝国大学」と別種の大学を設置。専門学校の大学への昇華が認可される。大学の性格を、「国家二須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養二留意スヘキモノトス」と規定。その構成に関し、数個の学部を置くのを常例とするとし、設置する学部として法学・医学・工学・文学・理学・農学・経済学および商学の8学部をあげる。特別の必要のある場合には1個の学部を置くことができるとし、単科大学の成立も認めた。
1919(大正8)年
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専門学校として高等商業学校へ昇格が認可され、「大倉高等商業学校」に。名門高商として全国にその名を馳せる。
1944(昭和19)年
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「大倉高等商業学校」より、「大倉経済専門学校」へ改称。
1946(昭和21)年1月20日
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空襲により校舎消失。赤坂葵町から国分寺へ移転。
1946(昭和21)年3月
学制改革、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づき、日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、「東京帝国大学」総長・南原繁らにより推進される。主な内容は複線型教育から単線型教育の「6・3・3・4制」の学校体系への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを除去、教育機会の均等を主目的とした。
1949(昭和24)年4月1日
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大学へ昇格、「東京経済大学」に。在校生がアルバイトをして募金するなど、全校を挙げて旧制専門学校から新制大学への昇格運動に取り組む。