ダイガクコトハジメ - 東京外国語大学
東京外国語大学
建学年 : 1873(明治6)年11月4日
創立年 : 1897(明治30)年4月22日
独立年 : 1899(明治32)年4月4日
大学設立: 1949(昭和24)年5月31日
前史 :
天文方蛮(蕃)書和解御用 → 洋学所 → 蕃書調所 → 洋書調所 → 開成所 → 開成学校 → 大学校(大学)/大学南校 → 南校 → 第一大学区第一番中学校 → 開成学校 → 東京開成学校 → 東京開成学校本科が東京大学法学部・理学部・文学部に
開成学校語学課程(英・独・仏)・独逸学教場・外国語学所を統合、東京外国語学校(旧外語) → 東京外国語学校英語科が東京英語学校として独立 → 東京外国語学校(旧外語)の英・仏・独3語科が東京大学予備門に合併、英・仏・独以外の語学科が東京商業学校に合併 → 東京外国語学校(旧外語)、廃校
東京開成学校予科 → 東京英語学校と統合、東京大学予備門に → 東京外国語学校英・仏・独3語学科を合併 → 第一高等中学校 → 第一高等学校 → 東京大学教養学部
高等商業学校付属外国語学校 → 高等商業学校より独立、東京外国語学校(新外語) → 東京外事専門学校 → 東京外国語大学
「東京外国語大学」年表
「旧制東京外国語学校(旧外語)」年表
1871(明治4)年
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外務省、「独魯清語学所」設置。
1872(明治4)年
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外務省、「韓語学所」設置。
1872(明治5)年4月
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伴正順(28-29歳)、文部省七等出仕。「南校」副校長に。
1873(明治6)年3月
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外務省、「独逸学教場」設置。
1873(明治6)年4月10日
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「南校」、「第一大学区第一番中学校」、学制における「専門学校」へと改変。再び、「(第一大学区)開成学校」へ改称。教授言語が原則として英語に統一されることとなる。
1873(明治6)年5月
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外務省、「独魯清語学所」を文部省に移管、「外国語学所」と改称。
1873(明治6)年5月
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伴正順(29-30歳)、文部省六等出。「開成学校」校長に。
1873(明治6)年8月
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「開成学校」、従来の「語学課程」(普通科)に加え、「専門学課程」(専門科)新設。法学・化学・工学・鉱山学・諸芸学の五科が設置される。法学・化学・工学が英語で教授されたが、鉱山学はドイツ語、諸芸学はフランス語で授業が行われ、残留していた独仏語専修の学生に対する移行措置とされた。当2学科について、学生の卒業にと伴い順次廃止。
1873(明治6)年11月
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「開成学校」、学制二編追加により、「語学課程」(普通科)が「東京外国語学校」として分離独立。
1873(明治6)年11月4日
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官立外国語教育機関である「開成学校語学課程(英・独・仏の3科)」・「独逸学教場」・「外国語学所」を統合、「東京外国語学校」設立。翌1874年までに全国で8校の官立外国語学校が設立されたが、官立最初の語学学校となる。「語学校」とも呼ばれる。
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英・仏・独・清(中国)・魯(ロシア)の5語科を設置。後に英語科が分離、朝鮮語科が増設。高等教育の基礎としての外国語教育と通訳養成教育の二重の役割を果たす。
1873(明治6)年11月
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伴正順(30-31歳)、 「東京外国語学校」初代校長に。
1873(明治6)年末
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「開成学校」が教授言語を原則として英語に統一したことにあわせて、「東京外国語学校英語科」を「東京英語学校」として独立。
1873(明治6)年
1875(明治8)年11月
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服部一三(24歳)、「東京英語学校」校長心得に。後に、「東京英語学校」校長に。
1877(明治10)年4月12日
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「東京開成学校本科」と「東京医学校」が統合。法学部・理学部・文学部・医学校の4学部からなる、「東京大学」設立。しかし、1881(明治14)年の組織改革に至るまで、実態は「旧東京開成学校」と「旧東京医学校」の連合体であった。学科について、法学部に法学の一科。理学部に化学科・数学物理学および星学科・生物学科・工学科・地質学・採鉱学科の五科。文学部に史学哲学および政治学科・和漢文学科の二科。医学部に医学科・製薬学科の二科が設けられ、それぞれ専門化した学理を探究する組織が目指された。あわせて、「東京大学法・理・文三学部」予科として基礎教育・語学教育機関「東京大学予備門」が付設される。
1877(明治10)年4月12日
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「東京英語学校」と「東京開成学校予科」が統合、「東京大学予備門(後に、第一高等中学校、第一高等学校)」設立。「専門学科ニ昇進スヘキ生徒ニ階梯ヲアタヘ予備学ヲ教授スルノ旨趣」とされ、「東京大学法・理・文三学部」入学のための基礎教育・語学教育を施す教育機関に。当初、「東京大学医学部」は別に予科を設ける。
1880(明治13)年3月
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外務省「韓語学所」、文部省に移管。「東京外国語学校」に朝鮮語学科設置。
1885(明治18)年8月
1885(明治18)年9月
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高等教育の基礎としての外国語教育について、英・仏・独3語科は「東京大学予備門」に合併、英・仏・独以外の語学科が「東京商業学校」に合併される。「東京商業学校」合併に対し、「東京外国語学校」学生は激しく反発、中退者も出現。「東京外国語学校」は廃止に。
1886(明治19)年1月
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二葉亭四迷(21歳)、「東京外国語学校露語科」が改組された「東京商業学校第三部露語科」に通うも、合併に反対。「東京商業学校」校長・矢野二郎に対し悪感情を持つように。中退。
「新制東京外国語学校(新外語)」年表
1897(明治30)年4月22日
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第9帝国議会にて、衆議院・貴族院が外国語学校開設を建議。「高等商業学校」に「高等商業学校附属外国語学校」設置。
1899(明治32)年4月4日
1899(明治32)年
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二葉亭四迷(34-35歳)、再び「東京外国語学校」が設立される。旧制「東京外国語学校」時代の恩師・古川常一郎の推薦を受け、ロシア語科教授に。
1902(明治35)年
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神田乃武(44-45歳)、「学習院」教授に。「東京外国語学校」初代校長を兼任。
1944(昭和19)年4月26日
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「東京外国語学校」、「東京外事専門学校」と改称。
1946(昭和21)年3月
学制改革、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づき、日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、「東京帝国大学」総長・南原繁らにより推進される。主な内容は複線型教育から単線型教育の「6・3・3・4制」の学校体系への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを除去、教育機会の均等を主目的とした。
1949(昭和24)年5月31日公布・施行
国立学校設置法、学制改革に伴い、日本国が直接設置、文部省管轄であった国立大学について、新制国立大学を設置、旧制国立大学を包括することに。69の新制国立大学が発足。
1949(昭和24)年5月31日
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新制「東京外国語大学」設立。「東京外事専門学校」を内包。
1951(昭和26)年5月31日
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「東京外事専門学校」廃止。