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ダイガクコトハジメ - 和田垣謙三

和田垣謙三

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参考文献・書籍

 

年表

和田垣謙三

わだがきけんぞう

1860(万延元)年8月30日(旧暦・7月14日) - 1919(大正8)年7月18日

法学博士、経済学者、帝国大学法科大学教授、私立女子商業学校(現・嘉悦大学)初代校長、東京商業学校校長

  • 1860(安政7/万延元)年8月30日(旧暦・7月14日) 和田垣謙三(1歳)、但馬国城崎郡豊岡町(現・兵庫県豊岡市)に豊岡藩士・和田垣譲の次男として生まれる。

1867(慶応3)年11月9日(旧暦・10月14日) 大政奉還

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上、明治天皇へ奏上。翌日、天皇が奏上を勅許。

1868(慶応4)年1月3日(旧暦・12月9日) 明治新政府樹立

王政復古の大号令、江戸幕府の廃絶、同時に摂政・関白等の廃止、三職設置による新政府の樹立を宣言。

  • 1881(明治14)年 - 1883(明治16)年 和田垣謙三(22-24歳)、東京大学卒業。ヨーロッパ留学、ケンブリッジ大学・ベルリン大学で学ぶ。

  • 和田垣謙三、文部省御用掛に。

  • 1886(明治19)年 和田垣謙三(27歳)、帝国大学法科大学教授に。金井延と共にもに学部を主導、シュタインやワグナーの社会政策学派財政学を導入。自由主義経済学からの転換を促す。

1899(明治32)年2月7日公布・4月1日施行 高等女学校令

中学校令14条および高等女学校規程に基づく尋常中学校の一種として設置された高等女学校について、女子に必要な中等教育を行うことを目的に、新たに独立した勅令を定める​。

  • 1903(明治36)年 嘉悦孝(37歳)、日本で初めて女子を対象とした商業学校・私立女子商業学校(現・嘉悦大学)創立。創立にあたり、金銭面の工面に苦労。商業教育の援助を行っていた渋沢栄一を訪れ、新校舎建設に掛かる費用援助を申し入れる。東京商業学校の一部を借り、校長に和田垣謙三を迎える。

  • 和田垣謙三、東京商業学校(現・東京学園高校)校長に。

  • 1919(大正8)年7月18日 和田垣謙三(60歳)、死去。享年60歳。

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