東京大学

和田垣謙三

わだがきけんぞう

1860(万延元)年7月14日/8月30日 - 1919(大正8)年7月18日

1860(万延元)年7月14日/8月30日

  • 和田垣謙三、但馬国城崎郡豊岡町(現在の兵庫県豊岡市)に豊岡藩士・和田垣譲の次男として生まれる。

1881(明治14)年 - 1883(明治17)年

  • 和田垣謙三(32-33歳)、「東京帝国大学」卒業。ヨーロッパ留学、「ケンブリッジ大学」・「ベルリン大学」で学ぶ。

  • 和田垣謙三、文部省御用掛に。

1886(明治19)年

  • 和田垣謙三(37-38歳)、「帝国大学法科大学」教授に。金井延と共にもに学部を主導、シュタインやワグナーの社会政策学派財政学を導入。自由主義経済学からの転換を促す。

1903(明治36)年

  • 嘉悦孝(35-36歳)、日本で初めて女子を対象とした商業学校「私立女子商業学校」創立。創立にあたり、金銭面の工面に苦労。商業教育の援助を行っていた渋沢栄一を訪れ、新校舎建設に掛かる費用援助を申し入れ。「東京商業学校」の一部を借り、校長に和田垣謙三を迎える。

1903(明治36)年

  • 和田垣謙三、「東京商業学校(現在の東京学園高校)」校長に。

1919(大正8)年7月18日

  • 和田垣謙三(89歳)、死去。享年、89歳。