ダイガクコトハジメ - 梅花女子大学
梅花女子大学
創立 : 1878(明治11)年
大学設立: 1964(昭和39)年
前史 :
梅花女学校 → 梅花女子専門学校 → 梅花女子大学
「梅花女子大学」年表
1878(明治11)年
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澤山保羅(25-26歳)、成瀬仁蔵ら教会信徒有志の協力を得て、リスト教主義教育を建学の精神とする「梅花女学校」設立。牧師をつとめた浪花公会とその母教会である梅本町公会(現在の大阪教会)教会員の協力があったことから、「梅花」と名付ける。大阪で最初の女学校に。成瀬仁蔵を主任教師に、学校運営を託す。
1878(明治11)年 - 1882(明治15)年
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成瀬仁蔵(19-24歳)、澤山保羅のキリスト教主義教育を建学の精神とする「梅花女学校」設立に教会信徒有志と共に協力、主任教師に。私財を投じて学校経営の維持を図るなど教職に熱心であったが、伝道活動への意思強く、1882(明治15)年に卒業生を送ると教職を辞職。牧師としての活動をはじめる。
1883(明治16)年
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澤山保羅(30-31歳)、「梅花女学校」校長に。陣頭指揮を執り、クリスチャンスクールとして存続を図る。
1894(明治27)年
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成瀬仁蔵(35-36歳)、帰国後、「梅花女学校」第5代校長に。女子高等教育機関の設立に着手。
1899(明治32)年2月7日公布 4月1日施行
高等女学校令、従来、中学校令14条および高等女学校規程に基づく尋常中学校の一種として設置された高等女学校について、女子に必要な中等教育を行うことを目的に、新たに独立した勅令を定める。
1899(明治32)年8月3日公布 8月4日施行
私立学校令、私立学校のみを対象とする最初。私学の基盤を一定整備、日本の近代教育の中で存在が正当なものに位置付けられる。同時に、私学は直接・間接的に国家の教育政策からの強い統制を受けることに。
1903(明治36)年3月27日公布
専門学校令、中等教育修了者を対象に高等専門教育を実施する「専門学校(旧制専門学校)」を規定。「高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス」と大枠を定める。専門学校には、予科・研究科・別科を設置することが認められる。専門学校令によって設立された専門学校は、宗教系学校、女子専門学校、医学専門学校、歯科医学専門学校、薬学専門学校、外国語学校など多岐にわたり、多様な高等専門教育機関が生まれる。
1908(明治41)年
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生徒数の増加に伴い、土佐堀から北野へ校舎移転。
1913(大正2)年
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高等女学校令に基づき、「梅花高等女学校」新設。
1922(大正11)年
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専門学校令に基づき、大阪で初めての女子専門学校として「梅花女子専門学校」へ改組。
1926(大正15)年
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大幅な生徒数の増加に伴い、北野から豊中へ校舎移転。
1946(昭和21)年3月
学制改革、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づき、日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、「東京帝国大学」総長・南原繁らにより推進される。主な内容は複線型教育から単線型教育の「6・3・3・4制」の学校体系への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを除去、教育機会の均等を主目的とした。
1950(昭和25)年
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学制改革により、「梅花短期大学」設立。英語科のみで発足、1959(昭和34)年に家政科増設。
1964(昭和39)年
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「梅花女子大学」設立。文学部・日本文学科・英米文学科。