ダイガクコトハジメ - 東京高等学校
東京高等学校
創立 : 1921(大正10)年11月
前史 :
東京開成学校予科 → 東京英語学校と統合、東京大学予備門に → 東京外国語学校英・仏・独3語学科を合併 → 第一高等中学校 → 第一高等学校 → 東京高等学校高等科と併合、 東京大学教養学部に
「東京高等学校」年表
1918(大正7)年12月6日公布 1919(大正8)年4月1日施行
第二次高等学校令、高等教育の拡大・改善を目的に。高等学校を「男子ノ高等普通教育ヲ完成スル」ための機関と位置付け、その内容を拡大・充実。官立のナンバースクールのみであった高等学校が、官立・私立・公立に拡大。1943(昭和18)年までに、高等学校は33校に。
1921(大正10)年11月
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第二次高等学校令に基づき、官立「東京高等学校」創立。日本初の官立七年制高校で、尋常科、および文科・理科からなる高等科を設置。独特の教育制度の下、数々の傑出した人材を生み出す。「東京帝国大学」への進学率は8割に達した。初代校長に、湯原元一。
1921(大正10)年11月
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湯原元一(58歳)、「東京高等学校」初代校長に。イギリスのパブリックスクールを範とする自由主義教育を推進。他校のバンカラ的な校風と一線を画すことに。
1930(昭和5)年
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湯原元一(66-67歳)、「東京高等学校」名誉教授に。
1941(昭和16)年
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太平洋戦争開戦、校風が自由主義から軍国主義に傾いていく。星新一「入ってみてわかったことだが、この学校はとてつもなく軍事色が強く、教師だけならまだしも、生徒たちの多くもそのムードに迎合していたので、うんざりした。着るものはもちろん、食うものもだんだん不足してくるし、学校は全部が狂っているし、まったく、どうしようもない日常だった」。
1946(昭和21)年3月
学制改革、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づき、日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、「東京帝国大学」総長・南原繁らにより推進される。主な内容は複線型教育から単線型教育の「6・3・3・4制」の学校体系への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを除去、教育機会の均等を主目的とした。
1949(昭和24)年5月31日公布・施行
国立学校設置法、学制改革に伴い、日本国が直接設置、文部省管轄であった国立大学について、新制国立大学を設置、旧制国立大学を包括することに。69の新制国立大学が発足。
1949(昭和24)年5月31日
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国立学校設置法により、新制「東京大学」設立。「第一高等学校」と「東京高等学校高等科」を併合、「東京大学教養学部」設置。「第一高等学校」は、「東京大学第一高等学校」に。翌1950(昭和25)年3月24に廃止。「東京大学教養学部」に内包される。
1950(昭和25)年3月
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「東京高等学校」、廃校。