東京大学

辰野金吾

たつのきんご

1854(嘉永7)年8月22日/10月13日 - 1919(大正8)年3月25日

1854(嘉永7)年8月22日/10月13日

  • 辰野金吾、肥前国(現在の佐賀県)唐津藩に下級役人・姫松蔵右衛門と母・オマシの次男として生まれる。姫松家は足軽よりも低い家格であった。

1868(明治元)年

  • 辰野金吾(13-14歳)、叔父の辰野宗安の養子に。

1873(明治6)年

1875(明治8)年

  • 辰野金吾(20-21歳)、「工部省工学寮」2年終了後、造船から造家(建築)に転じる。1877(明治10)年着任の外国人教授ジョサイア・コンドルに師事。

1879(明治12)年

1880(明治13)年 - 1883(明治16)年

  • 辰野金吾(25-29歳)、英国留学。ジョサイア・コンドルの師、バージェスの事務所や「ロンドン大学」で学ぶ。

1884(明治17)年

  • 辰野金吾(29-30歳)、外国人教授ジョサイア・コンドル退官後、「工部大学校」教授に。

1884(明治17)年

  • 辰野金吾(29-30歳)、銀行集会所設計。

1886(明治19)年

1886(明治19)年

  • 辰野金吾(31-32歳)、造家学会(後の日本建築学会)、設立。

1886(明治19)年

  • 辰野金吾(31-32歳)、辰野金吾建築事務所、設立。その設計の頑丈さから、「辰野堅固」と呼ばれる。

1887(明治20)年

1888(明治21)年

1888(明治21)年

  • 辰野金吾(30-31歳)、「英吉利法律学校校舎」設計。

1896(明治29)年

  • 辰野金吾(41-42歳)、日本銀行本店設計。

1898(明治31)年

1902(明治35)年

1902(明治35)年

  • 辰野金吾(47-48歳)、第一銀行本店設計。

1903(明治36)年

  • 辰野金吾(48-49歳)、葛西萬司と共に、辰野葛西事務所設立。

1903(明治36)年

  • 辰野金吾(48-49歳)、日本銀行大阪支店設計。

1905(明治38)年

  • 辰野金吾(50-51歳)、片岡安と共に、辰野片岡事務所を開設。

1906(明治39)年

  • 辰野金吾(51-52歳)、日本銀行京都支店、第一銀行京都支店設計。

1907(明治40)年

  • 辰野金吾(52-53歳)、浜寺公園駅設計。

1908(明治41)年

  • 辰野金吾(53-54歳)、第一銀行神戸支店設計。

1909(明治42)年

  • 辰野金吾(54-55歳)、国技館、日本生命九州支店、奈良ホテル設計。

1910(明治43)年

  • 辰野金吾(55-56歳)、国会議事堂の建設をめぐり、建築設計競技の開催主張。

1911(明治44)年

  • 辰野金吾(56-57歳)、岩手銀行本店本館、松本健次郎邸設計。

1912(明治45)年

1912(明治45)年

  • 辰野金吾(57-58歳)、朝鮮銀行本店、万世橋駅舎、日本銀行小樽支店、大阪教育生命保険、安田製釘所設計。

1913(大正2)年

  • 辰野金吾(58-59歳)、日本銀行福島支店、二十三銀行本店設計。

1914(大正3)年

  • 辰野金吾(59-60歳)、中央停車場(現在の東京駅)、武雄温泉新館・楼門、日本生命京都支店設計。

1915(大正4)年

  • 辰野金吾(60-61歳)、百三十銀行八幡支店設計。

1917(大正6)年

  • 辰野金吾(62-63歳)、霊南坂教会旧会堂設計。

1918(大正7)年

  • 辰野金吾(62-63歳)、「東京英和学校勝田ホール」設計。

1918(大正7)年

  • 辰野金吾(62-63歳)、大阪市中央公会堂設計。

1919(大正8)年

  • 辰野金吾(64歳)、国会議事堂の設計競技、審査員を務める。

1919(大正8)年3月25日

  • 辰野金吾(64歳)、死去。享年、64歳。得意とした赤煉瓦に白い石を帯状にめぐらせるデザインは、ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので、辰野式建築と呼ばれる。

1920(大正9)年

  • 辰野金吾、設計の「明治専門学校本館」竣工。