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ダイガクコトハジメ - 前田献吉

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  • 前田正名

 

参考情報

参考文献・書籍

 

年表

前田献吉

まえだけんきち

1835(天保6)年12月14日(旧暦・10月25日) - 1894(明治27)年12月21日

官僚、駒場農学校校長、東京農林学校校長、元老院議官、貴族院議員

  • 1835(天保6)年12月14日(旧暦・10月25日) 前田献吉(1歳)、薩摩国鹿児島城下に薩摩藩医・前田善安の子として生まれる。弟に、前田正名。

  • 1862(文久2)年 堀達之助(40歳)、教授主任に。西周・千村五郎・竹原勇四郎・箕作麟祥らが編纂に参加、蕃書調所より『英和対訳袖珍辞書』刊行。日本初の英和辞書に。

1867(慶応3)年11月9日(旧暦・10月14日) 大政奉還

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上、明治天皇へ奏上。翌日、天皇が奏上を勅許。

1868(慶応4)年1月3日(旧暦・12月9日) 明治新政府樹立

王政復古の大号令、江戸幕府の廃絶、同時に摂政・関白等の廃止、三職設置による新政府の樹立を宣言。

1868(慶応4/明治元)年 - 1869(明治2)年 ​戊辰戦争

王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)の戦い。日本最大の内戦となる。新政府軍が勝利、以降明治新政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められる。

  • 前田献吉、戊辰戦争、春日丸に乗船。北越戦争・箱館戦争に従軍。

  • 1869(明治2)年 前田献吉(35歳)、留学費用を稼ぐため、高橋新吉、弟・前田正名と共に英和辞書編纂を計画。1866(慶応2)年に開成所から刊行された『英和対訳袖珍辞書』を底本に、辞書編纂を開始。上海の美華書院の印刷により、『和訳英辞書』(通称『薩摩辞書』)の名で刊行。

  • 1870(明治3)年 前田献吉(36歳)、私費留学、妻と共に渡米。フィラデルフィアに滞在。

  • 1871(明治4)年 前田献吉(37歳)、海軍生徒として官費留学に。

  • 1873(明治6)年9月 前田献吉(39歳)、米国留学中の華頂宮博経親王が病のため帰朝。随従を命ぜられ、帰国。

  • 1874(明治7)年7月7日 前田献吉(40歳)、海軍軍医寮七等出仕。

  • 前田献吉、内務省六等出仕、海軍省六等出仕、海軍省医務局副長、海軍省医務局長、海軍省医務局副長、海軍省五等出仕など歴任。

  • 1877(明治10)年3月 前田献吉(43歳)、西南戦争、鹿児島に派遣。

  • 1879(明治12)年5月17日 前田献吉(45歳)、外務省に転じ、五等出仕に。朝鮮国釜山港在勤の管理官に。

  • 前田献吉、総領事(元山津在勤)、兼元山港郵便局事務取扱、兼判事、総領事(釜山港在勤)、兼釜山浦郵便局事務総括などを歴任。1886(明治19)年3月、非職に。

  • 1886(明治19)年5月22日 前田献吉(52歳)、駒場農学校校長に。

  • 1886(明治19)年7月22日 前田献吉(52歳)、学校再編により、東京農林学校校長に。

  • 1889(明治22)年3月15日 前田献吉(55歳)、元老院議官に

  • 1890(明治23)年10月20日 前田献吉(56歳)、錦鶏間祗候に。

  • 1894(明治27)年1月23日 前田献吉(60歳)、貴族院勅選議員に。

  • 1894(明治27)年12月21日 前田献吉(60歳)、死去。享年60歳。

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