駒場農学校

前田献吉

まえだけんきち

1835(天保6)年10月25日/12月14日 - 1894(明治27)年12月21日

1835(天保6)年10月25日/12月14日

  • 前田献吉、薩摩国鹿児島城下に薩摩藩医・前田善安の子として生まれる。

  • 前田献吉、戊辰戦争、春日丸に乗船、北越戦争・箱館戦争に従軍。

1869(明治2)年

  • 前田献吉(33-34歳)、留学費用を稼ぐため、高橋新吉、弟・前田正名と共に英和辞書編纂を計画。1866(慶応2)年に「開成所」から出された『英和対訳袖珍辞書』を底本に、辞書編纂を開始。上海の美華書院の印刷により、『和訳英辞書』(通称『薩摩辞書』)の名で刊行。

1870(明治3)年

  • 前田献吉(34-35歳)、私費留学、妻と共に渡米、フィラデルフィアに滞在。

1871(明治4)年

  • 前田献吉(35-36歳)、海軍生徒として官費留学に。

1873(明治6)年

  • 前田献吉(37歳)、米国留学中の華頂宮博経親王が病のため帰朝。随従を命ぜられ、帰国。

1874(明治7)年7月7日

  • 前田献吉(38歳)、海軍軍医寮七等出仕に任官。

  • 前田献吉、内務省六等出仕、海軍省六等出仕、海軍省医務局副長、海軍省医務局長、海軍省医務局副長、海軍省五等出仕など歴任。

1877(明治10)年3月

  • 前田献吉(41歳)、西南戦争、鹿児島に派遣。

1879(明治12)年5月17日

  • 前田献吉(43歳)、外務省に転じ、五等出仕に。朝鮮国釜山港在勤の管理官に。

1886(明治19)年3月

  • 前田献吉、総領事(元山津在勤)、兼元山港郵便局事務取扱、兼判事、総領事(釜山港在勤)、兼釜山浦郵便局事務総括などを歴任。非職に。

1886(明治19)年5月22日

1886(明治19)年7月22日

1889(明治22)年3月15日

  • 前田献吉(53歳)、元老院議官に

1890(明治23)年10月20日

  • 前田献吉(54歳)、錦鶏間祗候に。

1894(明治27)年1月23日

  • 前田献吉(58歳)、貴族院勅選議員に。

1894(明治27)年12月21日

  • 前田献吉(59歳)、死去。享年、59歳。