司法省法学校

 

鶴田皓

つるたあきら

1836(天保6)年12月26日/2月12日 - 1888(明治21)年4月15日

1836(天保6)年12月26日/2月12日

  • 鶴田皓、佐賀藩多久邑に生まれる。

  • 鶴田皓(幼少)、草場船山に学ぶ。。

1853(嘉永6)年

  • 鶴田皓(16-17歳)、江木鰐水に学ぶ。

1854(安政元)年

1861(安政元)年3月

  • 鶴田皓(25歳)、木下犀潭に中国法を学ぶ。

1869(明治2)年

  • 鶴田皓(32-33歳)、「大学校」大学少助教に。

1870(明治3)年

  • 鶴田皓(33-34歳)、刑部大録「新律綱領」編纂。

1872(明治5)年

  • 鶴田皓(35-36歳)、明法助「改定律令」編纂。

1872(明治5)年

  • 鶴田皓(35-36歳)、江藤新平の命により、司法省調査団として井上毅らと共に渡仏。ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの講義を受ける。

1874(明治7)年

  • 鶴田皓(37-38歳)、「明法寮」権頭に。

1875(明治8)年

  • 鶴田皓(38-39歳)、司法大丞一等法制官に。

1877(明治10)年

  • 鶴田皓(40-41歳)、太政官大書記官に。

1879(明治12)年

  • 鶴田皓(42-43歳)、一等法制官、検事兼元老院議官に。

  • 鶴田皓、東洋大日本国国憲按の起草に参加。

1881(明治14)年

  • 鶴田皓(44-45歳)、大審院検察長、陸軍刑法審査員、海軍軍律刑法審議員に。陸軍刑法、海軍刑法、旧商法ほかを起草。

1882(明治15)年

  • 鶴田皓(45-46歳)、参事院議官に。

1885(明治18)年

  • 鶴田皓(48-49歳)、元老院議官へ復帰。

1888(明治21)年4月15日

  • 鶴田皓(52歳)、死去。享年、52歳。