ダイガクコトハジメ - 藍謝堂(高島学校)

藍謝堂(高島学校)

 

創立  : 1871(明治4)年

創立者 : 高島嘉右衛門

​前史  :

藍謝堂(高島学校) → 県立修文館と合併、横浜市学校に → 市中共立修文館

​「藍謝堂(高島学校)」年表

1871(明治4)年

  • 高島嘉右衛門(38-39歳)、スイス人カドレー、アメリカ人バラ兄弟など西洋人の教師を雇い、英仏独の3ヶ国語を教授、語学中心の私塾「藍謝堂(高島学校)」を横浜伊勢山下と入船町に開校。私財3万円を投じ、敷地は一万坪、学生1000人が収容できる大きな学校であった。福澤諭吉を招聘したが実現せず。代わりに「慶応義塾」の海老名晋、荘田平五郎小幡甚三郎濱尾新、日原昌造ら高弟を講師に推薦、派遣される。岡倉天心、寺内正毅、本野一郎、宮部金吾、星亨ら人材を輩出。貧しい学生には経済的援助も行う。

1871(明治4)年

1871(明治4)年

1871(明治4)年

1873(明治6)年

 

1873(明治6)年11月11日

1873(明治6)年

  • 県立修文館と合併、「横浜市学校」と改められる。

1874(明治7)年3月

  • 校舎を野毛山に移転、「市中共立修文館」設立。